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[コメント] ノー・マンズ・ランド(2001/伊=英=ベルギー=仏=スロベニア)

戦争映画を見て、戦争の理不尽さを感じることは簡単なのである。
shaw

<冒頭、『鬼が来た』のネタばれも少々あるので、ご注意を。>

最近、『ブラックホーク・ダウン』、『鬼が来た』、そして当作品と、戦争や民族紛争に対する問題作を続けて観てきて、そのたびにある種の衝撃を受けてきた。

ブラックホーク・ダウン』では、映像のリアルさのなかに、ソマリア民兵を撃ちまくる米国兵と、撃たれながらもひたすら米国兵に群がってくるソマリア民兵を延々と描き、「民族紛争」と「軍事介入」の「理不尽さ」を考えさせられた。

鬼が来た』では、微妙なバランスの中で日本軍兵と中国人村民の交流を描きながらも、とあるきっかけから「戦争の狂気(の一言では言い切れないが)」が発動し、それまでに育まれてきた交流がいっさい破壊されてしまうという「理不尽さ」を感じさせられた。

そして、『ノー・マンズ・ランド』はというと、『ブラックホーク・ダウン』のように凄惨ではないし、『鬼が来た』のように当事国として意識する事が薄かったこともあり、なにより全編にわたって滑稽さを演出していた事もあって、大いに「楽しんで」観させてもらった。しかしながら、作品の核心である「戦争の理不尽さ」を、私は上記2作品以上に感じたように思う。それはなぜか。

例えば、ボスニア兵とセルビア兵との間で、どっちが戦争を仕掛けたかを言い争うシーンがある。銃を手にしているほうが、相手に「俺たちが戦争をはじめた」と言わせるのだが、最後はそのやりとりをみていた動けない男が「泥沼だ」とつぶやくように言う。そう、泥沼なのである。各地で起こっている「民族紛争」は、いずれも根が深く、背景を知れば知るほどどうすれば紛争が収まるのかが分からなくなる。そして、いたるところで「理不尽」が繰り広げられているのだろう。

ストーリー中盤以降、国連防護軍が登場する。これにより、物語は一気に収束されるのかというと、もちろんそう一筋縄にはいかない。軍上層部のてきとうな指示のせいで、現場(ノー・マンズ・ランドの塹壕内)では一触即発の状態にまでなってしまう。このへんのくだりも、実際に起こっていそうでおそろしい。軍隊の縦割り構造と、多国籍という横割り構造が交錯して、ちょっとしたことでも組織内がうまく機能しなくなるという問題は、実際に起こっていたそうだ。

当作品、先程も述べたが、ところどころで滑稽さを演出していて、かなり笑いを誘う。要所要所で劇場内でも笑いの渦が出来ていたし、私もかなり笑った。しかし、笑いが収まった後、常に「この作品を観ていて笑っていていいのか?」というジレンマに陥る。そして、ラストでカメラが塹壕から遠ざかっていくなかで、いつものように理不尽を感じつつ、ではどうするばいいのかという自問に何も答えを見出せない自分を発見する・・・。

最後に。今年のアカデミー賞で、当作品が最優秀外国語賞に選ばれたとき、私は『アメリ』じゃなくて大変残念に思ったのであるが、実際に『ノー・マンズ・ランド』を観てみて大いに納得できた。戦争映画というジャンルのなかではかなり異色な作品ではあるけど、是非観ておく事をお薦めします。それにしても、紛争の当事国からこのような作品がうまれるとは・・・。

(評価:★5)

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