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[コメント] ゾンビ(1978/米=伊)

「砂箱にアリを入れて飼う。アリは巣を広げ社会を作る。私はそこに水を注ぎ込んでキャメラを回しながら観察するんだ。」byジョージ・A・ロメロ
新町 華終

「When no more room in hell. The Dead will walk around.(地獄が満室になったとき、地上を死人が歩き回る)」

ベトナム戦争(1975年終戦)でさんざんに人、モノ、カネを消費し、大量の生命を奪った挙句に、今度は終戦後には空前の大量消費時代を迎えてさんざんモノ、モノ、モノを消費し尽くすアメリカ…「肉を食らわば生きていけぬ」…死肉となったゾンビはアメリカ人の性向そのものなんだとロメロ監督はインタビューで答えていた。

そしてこの映画では大量消費社会の象徴である「郊外型スーパーマーケット」が、皮肉にも「人類最後のユートピア」となる。いつのまにかゾンビになってしまった彼らは、かつて日曜日ともなればワイワイと家族連れや恋人同士で集まってきていたごく普通の人々である。驚いたことに監督の告白によると、スーパーの駐車場で群をなすゾンビ達は、そこにピーター達4人の生身の身体を嗅ぎつけて集まったのではないと言う。それこそ彼等は「ただ何となく」飢えを満たすためにそれまでの肉体的記憶を頼りに集まってきたのだそうだ。(それが証拠に生体がいなくなったと言うのにあてもなく彼等はスーパーに居残り続けている)享楽的で刹那的なまでの大量消費社会を繰り返すアメリカ人がすでに無限地獄に陥ってるとでも言いたげなブラックユーモアである。

しかも黒人が主人公という映画は当時としてはかなり珍しい。破壊と殺戮の歴史を繰り返すばかりのアングロサクソンがベトナム戦争によって自己存在矛盾に陥り、ヒッピーと呼ばれる若者たちが自暴自棄に走り、やがてそれらすべてを忘れるための享楽的消費社会に溺れていた頃でもある。

ゾンビ…その後『バタリアン』などフォロワ―作品においては走り回ったり飛び跳ねたり と「死体」とは思えない動きを見せていたが、実はそれらがすべて「恐怖」の本質を欠き、この作品を超えることができない理由だということは余り多くの人には気付かれていないのだろうか?ロメロ版『ゾンビ』が未だに最も優れた「恐怖」とされるのは、彼等がのらりくらりと動きながら実は「人の心の油断を襲う」という点だ。

わかりやすく言えば、例えばゲーム『バイオハザード』をプレイ中、ゾンビが一匹でノロノロ歩いてくるからと言って、少し目を離した隙にゾンビにがぶりと噛み付かれてしまったというようなことである。 走って襲ってくるゾンビは「災難」と思うしかないが、こっちがイライラするほどのろいロメロ版ゾンビを相手にしたとき、実は自らの心の油断が一番命取りだということにガブリと噛み付かれてから気付くのだろうと思う。前半でライフルでゾンビ狩りを楽しんでいた連中が映画後半ではいつの間にかいなくなってしまっているが、「自分はそんなヘマをしない」という慢心が心の油断を生んでしまったであろうことは想像に難くない。

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コメントの台詞に戻すが、それにしてもピーター達4人(?)がせっかくこしらえた「巣のできた砂箱」にヘルスエンジェルスという「水」をこれでもか!とばかりに流し込む監督…心底意地悪な性癖である(笑)

しかしながら絶望的なラストシーンにほんの少しの見えざる希望を残したことから、監督のメッセージ性が垣間見れる。やはり結局は逆説的に人間を描いていたのだ…ゾンビよりも醜くて尊い人間を。

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ついでに「あんまり怖くなかったなぁ・・・」という人は部屋の電気を消して鑑賞することをお薦めします。明るい部屋で見るホラー映画が怖いワケありません。そして気付くはずです。最初のテクニカラーの真っ赤な壁ですでに「恐怖」を感じ始めていることを・・・

(2004.4加筆修正)

(評価:★5)

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