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[コメント] 鉄コン筋クリート(2006/日)

20歳の頃に原作を読み、30歳を過ぎて映画を見る。原作に感銘を受けた子供だったが、大人(?)になった今では高い評価は出来ない。
pom curuze

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作と比べてうんぬんと言いたいのではないです。結局、何が言いたいのさ!?って思ったのよね。

マンガ読んだ頃は、そんな事どうでもよくて、あの絵とキャラクターのセンス、世界観、メッセージ等、オイラも感覚だけで受け止めて、なんだか感動していた。松本大洋のセンスとメッセージを感覚で感じていただけで、それで満足していたのだが、大人(30そこらじゃまだガキですが)となっては満足出来ない。

これは原作に対する不満にもなってしまうが、映画にも当てはまる事なので、ちょいと書かせて下さい。

結局、何が言いたいのさ?

クロとシロは、その後どうなったのか?「そんな事言っちゃあ無粋だぜ、アンちゃんよぅ」と思うかも知れんですがね。この物語の場合、そこから逃げちゃイカンと思ったのですよ。完全なるフィクションな存在であるクロとシロなんだが、彼らだって大人になる。どうやって食ってく?恋愛は?何歳まで一緒にいる?みなさん想像出来ますか?オイラと同じく30過ぎたシロ。

そこから逃げちゃったら、ただのフィクションでしょ。いやさ、フィクションなんだけどね。彼らのような現実感の無い存在だからこそ、そこから逃げちゃったらいけないよ。そこを逃げてしまえば、どんな物語だって簡単に創作出来てしまう。簡単だからこそ何一つ説得力の無い物語になってしまう。

現実的な思考やら制約やらが無い事によって、創造され、成立する物語もある訳で。だからこそ描く事が出来るメッセージなんかもある訳です。それがフィクションであり、ファンタジーだったりアニメーションだったりね。一瞬だけを切り取る事で可能となるメッセージ。でもね、それって簡単な創造方法じゃないか?って事が言いたいの。(そういった作品を全て否定するつもりじゃないです。もちろんそれもアリ。しかし、この作品に限ってはナシ)

クロとシロにその後があったとしたら、きっと様々な現実に苦しむだろう。そこを描かないから、その後の事なんて考えてないから、この物語は成立しているんだと思う。彼らの未来を示すのは、海辺での穏やかな時間。そんなの長く続く筈は無い。しかしこの物語は、それを考える事すらしない。目を背けたまま、物語となった一瞬のみ(人生の中で)を描く。架空の世界で、架空の二人の、架空の感情を描く。

20歳かそこらの時はね、それで良かったのです。「何かイイね〜」って。でも今はそれじゃ満足しないのです。理屈っぽいオッサンになってきているのは重々承知の上での発言です。彼らのその後までを真剣に取り組む覚悟で創作に臨んでいたとしたら、この物語を完成させられただろうか。そこを無視するからこそ出来た物語だと思うのです。それは言ってみれば、正面から向き合わずに、逃げたからこそ生まれた創造だと思うのです。それは簡単なやり方じゃない?楽なやり方じゃない?

誰もが納得するような最後を用意してよ!とまでは言いません。でもさ、ちゃんと腹据えて、そこまでやりきる方がよっぽど大変だと思うし、よっぽど創造力を要するのだと思うのです。だからこそ、その物語に説得力が宿るのだと。メッセージが宿るのだと。こちらの感情を揺り動かすチカラが宿るのだと思うのです。

たしかにこの物語はカッコイイ。若者受けするセンスに溢れている。ちょ〜ヤバいっしょ。 でもね、軽いんだよね。上っ面だけカッチョイイの。ウソ臭いんだ、どれもこれも。「どう?カッコよくない?こうゆうのってセンスよくない?オシャレじゃない?ヤバくない?」って言われながら見せられてる気がしてしまうのだ。

ちゃんと腹据えて物語を創造して欲しいのだ。たとえ作品がダサくなったとしても、彼らの「その後」を提示して欲しいのだ。それがあって初めて、そこにメッセージが宿るのではないか?言いたい事が言えるのではないか?その後の現実が無いからこそ、彼らが存在出来た訳で、その後があるとすれば彼らは存在出来ないのではないか?だってシロが大人と呼ばれる年齢になって、それなりの生活が出来るだろうか。大人にならないという前提があるからこそ、現在のシロはピュアな存在で居られるんじゃないか。子供だからこそ許されるピュアであって、クロもクロな訳で。

もちろん、現実世界を描いている訳ではないので、シロがまともな大人にならなくったっていいですよ。でも最後には現実が、この物語の中での現実が見えてこないと、そんな物語はウソじゃないですか?彼らだけじゃないです。宝町も、そこに住まう人々も。ちゃんと提示しなくとも、その後をオイラに感じさせる責任があるんじゃないか?それを感じさせても、ちゃんと素晴らしい物語に創り上げてこそ、創作者と言えるのではないか?そこを逃げちゃったら、何だって言えるでしょ。いくらでもウソつけちゃうでしょ。

結局、何が言いたいのさ。

ウソくさいオシャレな作品だとオイラは感じました。と同時に、それに感動していた20歳の頃と比べ、いくらか大人になったんだって事を実感させてもらいました。理屈っぽいオッサンになったって事をね。そんなオッサンになっていく事を嬉しく思えました。「何かイイね〜」だけじゃダメなんだと、ちゃんと考えられるオッサンになっていく事を。

☆1じゃないのは、そのアニメーションの完成度に対しての敬意。そこは素晴らしいよねぇ。

分かりづらい長文であるにも関わらず、さらに蛇足をもひとつ。アジアンカンフージェネレーションじゃないでしょ。そこもまたウソくさいオシャレ度を増してしまった点。

(評価:★2)

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