コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] イノセント(1975/伊)

ビスコンティ映画の気品を支えているのは、最高にデリケートな演出なのに・・
ルッコラ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







でも逆に、この映画では演出が完璧に制御できないことで、ビスコンティ映画のエッセンスが溢れ出しているのも確かです。イタリア(貴族社会)への郷愁やディテールへの執着が率直に出ていて、名作といっても過言ではないでしょう。 (ちょっとビスコンティだからって甘過ぎるかな?)

ただトゥリオには『ベニスに死す』のアッシェンバッハや『家族の肖像』の教授へのような気持ちは抱けません。いくらフェンシングのシーンが良かったとしても、同じく演出が完璧でなかった『ルードウィヒ』までの魅力は感じません。その人物が酷ければ逆に『地獄に堕ちた勇者ども』のマルティンのように、あらゆるモチーフを総動員して演出をするのがビスコンティですが、そこまでの演出はトゥリオに関してはしなかったように思えます。

完全主義者と言われたビスコンティですが、そうでなければ、デカダンスが芸術にまで昇華しないからではないでしょうか?

ただでさえビスコンティ映画には、エゴイストでインモラルな登場人物ばかりです。さらに、その行動は「いいかっこしい」で、見ていて恥ずかしくなることばかりします。(例えば『ベニスに死す』でホテルに戻ったアッシェンバッハが窓際で手をあげる所なんて見ちゃいられません。『山猫』でドロンが明るくチャオと手の甲をこちらへ向けてあげるのとは大違いです。)

しかし全ての美術装置や衣装にまで行き渡る演出によって、登場人物はその卑怯な行動さえ、のっぴきならないことであるように痛感させられます。そして当人自身はそのことをいやでも自覚して、常に自責の念に駆られ葛藤します。彼等は最後には敗北しますが、それは内面の戦いがあっての結果であって、決して退廃へと直行するわけではないのです。そして自らの責めとして破滅を受け入れるのです。よく初期と後期では傾向が違うとも指摘されますが、淀川先生の言われたように「敗北の美」は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』からこの『イノセント』まで見られる特徴ではないでしょうか?

でも、当初の予定どおりアラン・ドロンロミー・シュナイダーなら、いつものキャラクター・システム優先で、こんなにクラシックで映画的にならなかったかもしれません。まさに割り切れた感があります。また、テレザ役も最初はジャクリーン・ビセットを予定していたそうです。でもあのラスト・シーンはジェニファー・オニールでないとあんなに決まらなかったのではないでしょうか? もしシャーロット・ランプリングだったら今度は決まりすぎて、あの狼狽ぶりとは違う印象をうけてしまうかもしれません。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)草月 TOMIMORI[*] ジョー・チップ[*] イライザー7 chokobo[*] いくけん ALPACA[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。