コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 裁かるるジャンヌ(1928/仏)

ジャンヌの悲劇を目の当たりにし、答えのない神の存在について、思慮深く考え入っていた。カール・ドライヤー作品の宗教性が興味深い。
Keita

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 法廷や拷問室の全体像がほとんど見えてこないまでに徹底したクロース・アップでの撮影。しかし、このクロース・アップだけによって効果が出ているわけではない。クロース・アップで捉えつつ、驚くまでのロー・アングルから撮影されている。このロー・アングルによって、より一層、空間が歪んだものとして画面に現れる。そして、マリア・ファルコネッティの顔のみも演技がさらなる効果を生む。クロース・アップ、ローアングル、フォルコネッティの涙、この3つが重なるとそれはまさに芸術である。その芸術が、ジャンヌが体現する究極の苦しみを伝えるのだ。

 ジャンヌは最後まで神への強い信仰を崩すことなく、そのために異端として火あぶりの刑に科せられた。その姿はジャンヌが流す涙にも増して悲しい。神に背くくらいなら、自分など喜んで死を選ぶ、というまでの信仰を掲げながらも、結果的にはその神はジャンヌに味方しなかった。祈っても祈っても、届かない思いもある。ここまで悲惨なジャンヌの処刑を傍観していると、神など存在しないのでは、と考えてしまう。画面に映る十字架も常に斜めに撮られ、それが神は絶対的ではないと暗示しているかのようにも思える。信仰心を持ち続ければ、神が救いの手を差し伸べるほど、人生は甘くはないのかもしれない。しかし、人々はなぜ神を信じ、神に縋るのか。自分自身に信じる神がいないだけに、芸術的な視覚イメージを目に焼き付けつつ、そういったことを考え耽った。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)浅草12階の幽霊 セント[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。