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[コメント] マルホランド・ドライブ(2001/米=仏)

恐ろしく、可笑しく、哀しく、そしてやがて、心が痺れる。何度も何度もわたしはこの映画を観続けるだろう。このフィルムの世界に住むために。
ALPACA

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







おしずかに!おしずかに!

もう、うるさいよ。誰もよまないだろうよ。どこをどう追加しているのか、わからないけど。とりあえず、2月23日にもまた追加する。

この映画の魅力を僕は2時間45分話し続けられる。

ロストハイウェイ』が放りっぱなしという魅力に溢れた世界だったところと比べると、この映画は丁寧な解説をし、あたかも全体が腑に落ちるかのような世界を構築している。

しかし、それも、そうかもしれないし、またそれは逆なのかもしれない。合理的な辻褄があるような世界もまた多面的にいくつも存在し。それは、いくつにもいくつにも変更が可能なのだ。

ハリウッドの夢と挫折。虚栄と堕落。現実と虚構。恐怖と安らぎ。愛と憎悪。宿命と偶然。。。リンチ的世界の言葉はいくつでも、場面の数だけあげることができる。それらは、ねじれ、そして、また振り出しに戻ってくる。

夢を語る者がいて、夢を見る者がいる。夢は悪夢でもあるが、夢の中のリアルさをどこまでもどこまでも、追い続ければ、そこには現実との境界線は消えてしまうだろう。

インタビューの度にテーマは愛だというD・リンチの言葉に偽りなし。

この恋愛映画は泣ける。ただし、それは哀しいからだけではないけど。

映画の楽しみ方は。いや。D・リンチ映画の楽しみ方は、その場面。その人物だけを切り取って堪能することでもある。それは、繋がりを拒否しているということではなく、あまりに素晴らしいエピソード。詩のような一遍。として堪能できるのだが。

実は、D・リンチも、生涯をかけて、同じテーマを何度も何度も意図的に繰り返している。そして、どの映画全体からも、あるいはどの短い場面からも、それらを感じることができる。またそれは、必ずしも映画全編の物語として読み取らなくてもよかったし。まるでそれを拒否しているかのような映画もあったのかもしれない。しかし、この「マルホランド・ドライブ」は、意図的に、物語の謎と、その謎は映画中に出現するブルーボックスとその鍵と同様に、謎は解けるものだと提示してくる。

などと書いて、何度も何度も観てしまった『マルホランド・ドライブ』について勝手な解釈がここからはじまるのだけど。こんなことは、どうでもいいといえば。どうでもいい。いや、積極的にどうでもいい。一度観て、何かざわざわしたね。とか、不思議だけど、なにか惹かれる。みたいな曖昧な感想が正しい感想のはずだ。そして、もしかしたら、そのひっかかりを感じられればいいだけのはずだ。 しかし、何度も映画を観ざるをえない・何度も感じざるをえない病の者にとっては、ああでもこうでもと、考えざるをえなくなる。そう。それこそ、リンチの、あるいは映画の魔術なのかもしれない。

どうでもいいごちゃごちゃのわたしが感じた「マルホランド・ドライブ」ってやつは、

###何度目の追加、削除、修正、追加、で疲れ果てたので、もう、直しません。たぶん。きっと。そして、すごいオタク度高し!わかりずれえ!恥ずかし!ひかないでえ〜!

まず、いきなりだけど。

数々の媒体で行われている今野雄二氏らをはじめとした、この映画の謎解きである、前半部分がベティこそダイアン(ツイン・ピークスで馴染みの名前だ)の「夢」で後半部分がダイアンの「現実」という説明。(その前半と後半が逆だという説も)は、わたしは、大いに気に入らない。それだけの単純な世界などでは断じてない。

・それは、前半が夢だというには、あまりに長く複雑だから。という幼稚な理由もあげたいが。何より、それがダイアン個人の見る夢では描ききれない、他者の視線、他者の観察となっているところだ。つまり、ダイアンも、リタも、ベティも、カミールもいない場面が多く登場する。そして、その視線でこっそり描かれた世界にこそ、この映画の核は潜んでいるのだ。ダイアンの意識できない「はず」なところに、この物語の演出家がいるのだ。

と、こんなところで勝手な宣戦布告をし。リンチが繰り返し描きつづけているのは、常に今、ここにいる世界と、もう一つの世界だ。そして、その別の世界にも、この世界のわたしが少し形を変えて同時に生きている。そして、それは単純な言い方をすると、<そのままでは見えない悪の世界>のようなものであり、同時に、はたしてわれわれは何処に立っているのかを揺さぶるのだ。そう、どちらも本物ではないかのように。それは断じて、単純な「現実」と「夢」。という世界観ではない。

という観点からこの映画の物語の流れを勝手に説明。

空港の老夫婦の笑い。この映画の最初の揺さぶり、彼らはラストにもまた笑いつつ、ダイアンを追い詰める。彼らはすべてを知っているからこそ、おかしく役者を操る。そして、彼らもまた使者だ。 夢を見たという男ダンが、その夢のとおりの男を目撃して死んでしまう。その浮浪者もまた、二つの世界の存在を知るものだ。 監督へ女優を使うように指示する二人の男(バダラメンティ名演)は、この世界をどうしてもうごかさなければならない。それは、リンチ映画でお馴染みの赤い部屋に住む、ミスタークロウがすべてを操る。また、かれは、カウボウイをも使い、両方の世界を操作する。

映画の中盤で、ベティとリタがアパートへ行き、腐乱死体を発見する。しかし、それは誰の死体なのか画面ではわからないのだが、リタが激しく怯えているものの、ラストにこの死体と全く同じ姿で、ベティことダイアンが自殺をする。怯えるリタを慰めるベティ。その夜、二人は結ばれる。夜中に寝言でリタが「おしずかに、、」それはクラブシレンシオの主人の台詞だった。

クラブレンシオの場面。ここで映画のすべては、震える。「すべてはまやかし‥すべてはテープに記録されたバンドの演奏」。泣き女のまやかしの唄によって、そこでは二つの世界が交わり、別れる。ベティはここで体が激しく震える。そして、なぜか開けてみる鞄の中には、青い箱が入っていて、謎であった、鍵を二人は開ける事ができる。しかし、開ける時に、ベティはいなくなり、リタが一人あける。そこで世界は見事に捩れ始めるのだ。

ベティはこの世界ではダイアンという名前で生きている。そしてダイアンは、リタであったカミールと恋人でもあるのだが、その恋も終わりであると言われる。そこで殺意をもち、カミールの殺害を依頼。鍵があれば殺害が成功したという知らせ。目が覚めたところで、殺害が成功したと知る。カミールを思って自慰。刑事が自分を探している。冒頭でも出現した悪の使者かのような老夫婦に責められるダイアン。それこそ、自らの悪との戦いに負け、自分の頭を撃ち抜く。この世界ともう一つの悪の世界をまたぐものは、この老夫婦であり、最後にブル−ボックスを持っている浮浪者であり、また前半部分でも、数多くの異世界の住人達を垣間見ることができる。ダイアンとカミールが「マルホランド・ドライブ」をショートカットして訪れるパーティ会場もまた、登場人物たちがみな、それまでとは違う役割を演じているのだ。

こう考えて「も」、不可思議に思えた行動などの符牒はすべて合って来る。

この映画の冒頭のダンスシーンと、車のシーンの合間にブロンドの女が倒れる場面。これは、映画の最後のダイアンの死と繋がっている。映画はどこからどこまでも循環している。それは、最初と最後の循環ではない。どこからでも、二つの世界は重なる。悪の支配人らに怯える人々。叶えられなかった恋人が記憶喪失として、自分を慕うという願望。それらの夢と死の存在に共有して触れることの哀しさ。

ミスターロークが操ろうとしたものは、ただ一人の映画女優ではないのだろう。

すべてはまやかし‥すべてはテープに記録されたバンドの演奏

それは、まさしく、リンチの世界観のはずだ。

ああ、何度も何度も感じてしまうよ。

おしずかに!おしずかに!

(評価:★5)

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