[コメント] フェリーニのローマ(1972/伊)
この映画に熱中してスクリーンを観ていた自分の隣に座りたい。
18〜22くらいの間にここらへんのフェリーニ映画を名画座で何度となく観た。わたしは、フェリーニが、フェリーニだというだけで、ありがたがってフェリーニ映画を観ていた。
それから、あまりに多くの無駄な時間を過ごして歳を重ねてしまったわたしは、この映画を今見返すことに、躊躇することしきりだ。これからも、ローマなど訪れることもないだろう、極東のありきたりの郊外に住む者にとって、黒沢清や、三池崇史らが量産する東京の物語のように、トキメキ、映画を観た。という満足をすることができるのだろうか。
はたしてまた、遺跡のフレスコ画が喪失する場面や、ファッションショウや、夜のバイクの場面を見て、「それがどうしたの」と冷めたことを言わないか不安だ。ローマへの個人的な愛情を見せられたところで、今のわたしは、どれだけ共感し、どういう感情を持てばいいのだろう。
というのは、やはり無駄な歳を重ねてしまった凡庸な会社員の思うことであって、きっと、この映画の画面をくいいるように見ていた昔のわたしは、こんな風に思う男に、熱い様々な言葉をかけてるくれかもしれない。
そして願わくば、あの頃の自分の隣に座って、その熱中していた自分の横顔を見たい。
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