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[コメント] キッズ・リターン Kids Return(1996/日)

多分ずっと始まらない。始めない。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「まだ始まってねぇよ」と、まるでハッピーエンドのように終わるこの映画。だけどきっと、彼らの物語はこれからもずっと始まりません。例え始まったとしても、それはやはり瞬く間に終わってしまい、その度に彼らは「まだ始まってねぇよ」とうそぶきながら歳を重ねていくように思えます。

 それでもシンジはまだ救いがある。もしかすると彼だけならまた物語を始められるかも知れない。運良く何の障害もなかったらそれなりの幸せは掴めるかも知れない。それなりのね。だけどマサルはきっと無理です。入れ墨背負って、刀傷残して、しかもヤクザの世界にも戻れない。チャンスってやつはそんなに何度も巡ってくるものじゃないし、目の前にいつまでもぶら下がっていてもくれない。だけど彼はそんな所から這い上がれるような持久力もない。だからきっとこれからもボクシングのような新しい何かを始めては終わらせて、その度に「始まってねぇ」と遠吠えをするんでしょう。

 若さゆえのハッタリは時に美しさや勇ましさすら感じさせます。だけどそれって歳を経るに連れてどんどん見苦しくなってくるものなんです。それはモロ師岡演ずるロートルボクサーに顕著に表れていることで、向こう見ずなハッタリや負け惜しみが煌めきを感じさせるのは若いときだけなんです。だからあのラストの清々しさ、気持ちよさっていうのは、今だから許された非常に賞味期限の短い輝きであり、失われてしまった物の残骸を手に遠吠えを続ける若者が、今その瞬間だけ放つ光なんです。その輝きは既に鈍ることを約束されているといってもいい。

 だけどそんな今作であるにも関わらず、ここには何故か深い優しさが溢れています。そして僕はそれを、映画自身が彼らを“ただ見つめている”からなんだと思っています。あえて肯定も否定もせず、ただそこに存在することを許している。そしてその輝きを、瞬間の物であれ何であれ価値ある輝きとして切り出している。例え「若くして大事な物を失ってしまった刹那の輝き」であっても、それを「努力を続けて大きな物を勝ち得た輝き」と同じ視線で見つめてくれている。それは弱者にとってはこの上ない救済の視線であり、その包み込むような視線の中は最高に居心地のいい場所なんです。

 彼らはきっと始まらない。始めない。始められない。だけど今作はそんな彼らの遠吠えをただ好意的に見つめ続けます。努力を続けて漫才師になって、変な衣装で小さく笑いを取っている奴がいる。地味に女性を口説き続け、せっかく結婚したのに事故で死んでしまう奴がいる。彼らの代わりにボクシングで輝き始める奴がいる。真面目にやろうが不真面目にやろうが、計画に沿おうが思いつきで動こうが、結末はそれぞれバラバラで決してその努力に比例なんてしていない。ただ「比例しやすい」ってだけです。人生って正にそんなもので、だからこそ今作はそれらの輝きを全て等価の物として扱っているんです。

 甘ったれには甘ったれなりの挫折があり成長がある。それでも人間なかなか変われるものではないけれど、そこで遠吠えを続ける彼らなりの矜持の眩しさは嘘ではない。そんな「甘やかした視線」の暖かさが、とても居心地よく感じられる作品でした。甘ったれ万歳。

(評価:★5)

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