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[コメント] REVIVAL OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に(1997/日)

ヒット作家の苦悩だか何だか知らないが、自分の作品を敢えて濁らせるのは好きじゃない。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 放送から10年を経て初めてテレビ版にチャレンジ、10年遅れで最終回に「えぇーっ?」となり、9年遅れで映画版を手にした僕でございます。ですから実際は最終回の「えぇーっ?」もある程度聞き知ってはいたことで、むしろ織り込み済みと言ってもいいくらい心の準備は整っていたわけです。まぁそれを置いても「おめでとう!」「おめでとう!」にはビビりましたけど。

 でまぁそれに笑いはしましたけど、やっぱり途中が面白かっただけに不満は不満だったんですよ。だから映画版には「それなりの期待」を持って観たわけなんです。例えて言うなら、人員的にも時間的にも金銭的にも余裕がなかったシェフが客に素材のまま材料を投げつけたみたいな最終回を、改めてしっかりと調理してくれるのを楽しみにしていたんです。例えそれがマズい料理だったとしてもです。

 というわけでこの映画版、前半の「テレビを観てない人にはまるでわからない総集編」はさておき、後半は確かにしっかりと調理をしようとしているように見受けられました。シンジがいきなり凹みまくっている部分とかの無理矢理さを我慢しようと思えるくらいには。

 ところがこのシェフ、最後の最後でまたやらかしやがった。せっかり料理したのに、今度は料理したものを盛り付けもせずにこっちに投げてきやがりました。観客を敵に回したいなら回せばいいし、何かを投げつけたいなら投げつければいい。だけど今作において当初の目的はそれじゃなかったはずで、だとすればそれはもう途中放棄なわけじゃないですか。どう考えたって多くの人間と多額のお金が費やされ、観客が自分の時間とお金を費やして観に行っているわけで、そこに自分の私信を入れ込んで作品を「濁す」というセンスは、“創造することを許された人間”としては褒められたもんじゃありません。

 それでも物語は(途中の私信がまるで“無かった”ことのように)進み、庵野なりの結末を迎えます。僕はこの結末ならそれはそれで良かった。どんな形であれ物語がきちんとした終わりを迎えたことにそこそこ満足できたんです。採点の★3は正にその部分に対しての点数なわけで、これはもうテレビ版の中盤が結構面白かったことも含んでの大甘の点数です。

 結局テレビ版の最終回の失敗を取り戻すべく企画された映画版で、また似たような失敗を敢えてやらかしたってことなわけで、もうそれだったらわざわざ作るなよと。1時間で終わったラスト2話を2時間かけた上にまた嫌な思いさせやがって、それだったら1時間で終わった方がこっちは楽だし無駄も省けるってもんです。「おめでとう!おめでとう!」の方がむしろ潔いくらいです。監督には自分の仕事が「料理をすること」なのか「人に物を投げつけること」なのか、せめてその判別くらいはちゃんと付けて欲しいもんだなぁと思いました。まぁ10年経っちゃってるから今更なんですけど。

 それにしてもこんな敵意むき出しの作品に対してそれでもちゃんと「解読して評価したい」ってファンはいらっしゃるもんで、僕が今作の内容をスルッと理解できたのもそういうファンの方のページがたくさん残ってるからだったんです。何かそういう「打たれても打たれても」なファンの姿勢って、「気持ち悪い」を通り越してむしろ「美しい」とさえ思うんだよなぁ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)べーたん tkcrows[*] 水那岐[*] トシ

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