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[コメント] かくも長き不在(1960/仏)

外見の面ではパーフェクト。モノクロの映像だとか人物の配置だとか音楽の整然とした美しさは個人的ベスト10に入る。『去年マリエンバートで』『革命前夜』『鬼火』etc・・・とこの時期のフランス(イタリア)映画/映像のある種のモードは全映画史の中で一番好き。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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タイトルもカッコイイと思う。

こういったタイプの映画では珍しく《強烈な晦渋さ》を感じなかった。ので、内容について想いを巡らす余裕も生まれた。

「あなたは私の夫じゃないの?」とテレーズに一言言わせればいい映画。けれどもそんな直球は最期まで避けられている。

何故か? それはきっとテレーズの全ての動作表情を通してでなければ伝えられない「何か」があるためだろう。しかも、「映像で語る」なんて類の次元ではない。回りくどい。でも、単純な言葉には到底置換できない「何か」が確かにあるし複雑重厚な映画だと思う。一つ一つの場面‐男の小屋に隠れるシーン、ダンスを踊るシーンetc‐が主張しているように思える。一つ一つの場面が「あなたは私の夫じゃないの?」と言っているような錯覚を覚えた。映像が、存在が、空気がセリフの代わりになっている。

このような手法は大変興味深い。たとえば演劇では神聖視されている「セリフ」が、この映画では肝要視されていない。この映画を観る前まで、「セリフ」は具象的で実体的な道具だと思っていた。しかし実は「セリフ」は多くの場合一次元的になりやすく、絶対的な武器ではない、という視点も頭の中に植えつけられた。そういうスタンスの映画だと思う。「言葉でなく行動で示せ」と、誰かに説教されたときに聞きそうな言葉だけど、どこか共通性がある(かな)。ということで、アリダ・ヴァリが背負うものはかなり重かったと思うが、演技派だなと思った。彼女に見事に吸い込まれてしまったから。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)緑雨[*]

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