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[コメント] ソフィーの選択(1982/米)

毒を飲んだようなものだ。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







発作を起こしたアウシュビッツ所長ルドルフ・ヘスの看病をしているソフィを見て「今だったら彼を殺せるぞ」との考えが頭に浮かんできてしまった。これが健全な発想かどうかは良く分らない。とにかく、そうなってしまったのだから仕方がない。

もし命が2つある人間がいたとしたら、殺害を完遂する者も中にはいるのではないだろうか。何十万何百万の犠牲者の怒りを代弁してぶつけようと試みる者がいたっておかしくない。もちろん、そんなことをしたって無意味なのは目に見えてる。新たな所長が就任し、抵抗者はポイッと焼却炉に投げ込まれる。それでおしまいだ。アウシュビッツの支配者層の畜生ぶりは『夜と霧』にしっかり記録されている。

だが、ソフィは彼を殺さなかった。否、本当は殺せなかったというべきかもしれない。反逆は自殺行為である。自分の命は全てに優先するのだ。正義感や肉体、信念といった普段重要と思われている要素は、命の前では塵芥ほどの価値も持たない。どちらかを選ぶようなシチュエーションになった所で、それは選択であって、選択ではないだろう。

*息子を優先するシーンがあって、さすがは母だと思わされたがここではおいておく。

■全ては生き延びるためなのだ。■

「なにものか」が川の途中で毒を流し込んだのだ。その辺りにいた魚やら水草やらは全て死滅した。水は白く濁り、饐えるような悪臭を放った。わけの分らないヘドロのような物質が川底だけでなく、岸までも覆い尽くした。流れが海へとたどり着くまで水は汚濁したままだ。川は流れ続けなくてはならないのだ。海に到達するか、その流れが止まるまで。

ソフィが過去、どのような選択をしてきたとしても、悲惨な結果へと繋がっただろう。煎じ詰めていえば、選択の結果ではなく、選択せざるを得ない状況に陥ってしまったことが悲劇である。戦争は時として人間に悪魔的な選択を押し付けてくる。解いてはならない、決して解けることのない問題を押し付けてくる。そして、犠牲者はそれについて解答をしなければならないのだ。

この選択は病である。いつかは彼女を捕らえる。

たとえ老人になってボケてしまっても、彼女から記憶が消えはしないだろう。まずない。逃れられはしないのだ。彼女の自殺は、そんな記憶を喚起させる刺激(皮肉なことにこれは本来ポジティヴな方向からきたものだ)に耐えられなくなったためなのかもしれない。もしかしたら真実は別に存在するのかもしれない。いずれにせよ、悲しいことだ。それ以外のなにものでもない。

こんなことが数え切れないほどの人間に対して起こっていたのだろう。そして起こっているのだろう。

(評価:★4)

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