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[コメント] ドッグヴィル(2003/デンマーク=スウェーデン=仏=ノルウェー=オランダ=フィンランド=独=伊=日=米)

社会学的実験映画。
新人王赤星

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







グレースは異邦人の難民であり、村では権利も資本もない弱い存在。彼女を受け入れるか、ギャングの下や危険な山に放り出すかは村人に委ねられ、彼女の村での権利は村人に支配される。村人にとって好ましい存在である事が求められ、持たざる者の彼女はそれに応えなければならない。ここでまず力の構図が生まれる。

何も持たないグレースは村人からのあらゆる提供に依存してのみ生きられる。保障と福祉だ。やがてそれは、労働の対価へと緩やかに、はっきりと移行する。契約社会への参加の要求(強制)。拒否すれば、共同体に参加する権利を失う。持たざる弱き者は、過酷な労働条件で、原始的な仕事を、低い報酬でしか得られない。持つ者からは、資本を搾取され、権利を侵略され、陵辱される。システムに苦しむ人間は脱出を試みるが、権利を持つ者達の合議で定められた法規を犯す人間を社会は許さない。弱き者は過酷な契約社会にどこまでも縛られ逃げ道は無い。これが、この共同体を維持する為のシステムだ。

これは私達が生活している社会システムと何ら変わりはない。経済最優先の資本主義社会のごく自然な姿であり、ごく自然な社会的弱者の姿である。富める者はますます富み、貧しい者は益々貧しい。

冒頭のナレーションにあるように、村人はモンスターでも何でもなく、善良で真面目な人々であり、村にとって負担であるグレースを受け入れる自分達を、誇らしげに感じる常識的な価値観の持ち主達だ。私達と同じく。そしてこの村は社会の縮図でもある。唯一の食料品店で法外な商売をする老婆は資本を牛耳る資本家、家も無い貧しい労働者の運転手は民主的な合議の場で発言を老婆に塞がれる。盲目の老人、黒人、障害者といったマイノリティは合議の場ではただ従うのみか、そもそも参加しない。都会への脱出を夢見る若い女、家族経営の中小企業、エンジニアを目指す勉強嫌いの若者、リタイアした富裕層、意識革命を促す労働しないインテリ、例外と責任を嫌いシステムに従うお役所的な教会の女、子供を愛する家庭的な母親、共同体にシニカルな男。このシンプルでバランスの取れた村は、社会の構成要員の縮図モデルであり、私達が住む平均的な世界だ。この村に最も持たざる弱き者が与えられ、新たにピラミッドの最下層が生まれた場合どのような反応が起こるのか。社会はどう接してどう受け入れるのか。まさにグレースは天からのプレゼント。ご丁寧なナレーションによる補足説明と、経過ごとにわかりやすいタイトルを付けて私達にこの実験を見せてくれる。私達の社会のシステムはこうやって成り立ってると。私達の社会はこんなに醜く、弱き者を踏みつけてるんだよと。私達が村人に感じる嫌悪感は、私達自身への嫌悪感に他ならない。この実験に具体的な環境は排除され、普遍的な人間の姿を丸裸にして社会を見渡せる透明な実験室が舞台として用意された。

グレースは最後に権力者となる。最も持つ者、強き者となり、ピラミッドの最上層に君臨した。彼女と父親は許しと裁きについて、そして傲慢さについて議論する。ここでの議論は抽象的で、村人に対してと言うよりも、力を持つ者が世界に対して議論しているようでもある。いずれにしても、強き者は弱き者を許す事も裁く事も可能で、弱き者の権利はすでに強き者の手の中にあり、支配されている。議論は力を持つ支配層の対立に過ぎない。これこそが、世界最大の傲慢さなのだ。  

グレースは権力を行使する。世界を良くする為に、世界という共同体を維持する為に。罪の無い子供の犠牲もいとわない。持つ者が持たざる者の権利を支配し、侵略する。世界はこの繰り返し。これが現実世界の傲慢なシステムなのだ。彼女が月明りで見たとおり、村人も外界も変わりは無い。彼女も村人と同じなのだ。そしてカタルシスを感じた私達も、彼女と同じ醜い傲慢さを持っている。

エンドロールではアメリカの矛盾が映し出され、突如現実世界に目が向けられる。現在世界で最も力を持ちピラミッドの最上層に君臨するのは言うまでもなくアメリカだ。資本主義のモンスターとして膨張し、力による支配を維持する。エンドロールに映ったニクソンをはじめ、レーガンやブッシュ親子が率先して作り上げた強き者の為のシステムが世界を席巻する。保障や福祉をないがしろにして裕福な者をより裕福にする為の政策は弱き者をますます追いやり、貧富の格差と支配の構図を強め、より良い世界にする為の名目で最大の力の行使が、つまり戦争による支配と侵略と搾取と陵辱が行われる。

ドッグヴィルはアメリカの戯画である。そして同時に、私達の住む弱肉強食効率優先の資本主義社会の矛盾を浮き彫りにしてしまったのだ。

ラース・フォン・トリアーは人間の醜さを取り上げるため、意地悪だと言われる。彼の作品から嫌悪感を感じるかも知れない。しかし一つ言える事は、彼は見て見ぬ振りはしない。私達の社会の矛盾を、私達の世界の犠牲者を無視はしない。メイキングを見る限り、彼はナイープで、悩み嘆き苦しみ睡眠薬を摂取しながら映画を創っている。この映画はアメリカ3部作の第一弾らしい。少なくとも私は、この監督の世界を見つめる厳しく本気の視線にまだまだ付き合うつもりです。

(評価:★4)

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