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[コメント] ピアニスト(2001/仏=オーストリア)

真上から見下ろされた鍵盤の上を漂う老いた(衰えた)手が物語るもの。
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







評価に戸惑う作品である。作品全体について言うなら、苦手な作品だ。情愛(と言ってよいのかわからないが)を交わすシーンは冗長だし、『女と女と井戸の中』のような老醜漂う雰囲気も苦手だった。

だが、冒頭のシーンとラストは秀逸であった。

冒頭で、タイトルとメイン・スタッフ紹介と交互に、鍵盤を上から俯瞰で撮った画が挿入される。ここで主人公のピアノ教師の教え子の指や手は肉がピンと張っていて若々しさを体現しているのに対し(といってもその演奏が軽やかであったり流麗であったりはしなかったが)、主人公の手は痩せこけて、その衰えが白日のもとに曝されている。ここだけで主人公がこれまでどのような人生を歩んできたかが説明されきっている点で、この画は雄弁であり同時に残酷である。

考えてみれば、もし主人公が若者であったら、過剰な自意識の貧弱な発露というだけで終わっていたかもしれない。しかし、老いた指が物語る時の重みを目の当たりにしてしまうと、それを一笑に付すことはきわめて困難になる。

(以下、ラストの展開についてのネタバレ内容を含みます)

主人公はあのナイフで何をするつもりだったのだろうか?観賞時は、すべての狂気と混乱を終結させるために、演奏中もしくは直前に自分の腕か指を切り落とすのかと思った。本当にそうなったら、本作の評価は1点にしようと思っていた。だが、本作はその程度の懐の狭いものではなかった。いずれにせよ、あのナイフは彼女の攻撃性を体現していたと思う。

実際には、彼女は中途半端な形で自分の胸を刺す。それは当初の彼女の意図とは異なる結果だったのではなかろうか。

会場の前に何事もなかったかのように現われる教え子の彼、彼女の行為により発表の場を剥奪された教え子の女性とその母親、そして画面には現れない、彼女の演奏を待つ観衆、それらは彼女自身の行為が招いた帰結であり、同時に彼女にとって絶えがたい現実の重みとして現前してきた。それは、彼女が教え子の彼に望み通りの暴力行為を加えてもらったときにはじめて感じた恐怖と同種のものであった。自分の無為さに絶望的なまでに気づかされた彼女ができることといえば、薄く自分の体を刺すことと(深く刺すことなど無為な彼女にできようはずがない)その場から逃げ出すことぐらいであった。 

自傷行為と逃避は確かに彼女の正常な部分を体現しているが、本作のセリフにもあるように(ちょっとあやふやな記憶だが)、本当の≪狂気≫は≪正気(正常)≫に固執することにあるのだとしたら、あれ自体は正気に基づく行為でありながら、その実、狂気の始まりだったのではないだろうか。(ニュアンスは異なるが、muffler&silence(r)[消音装置]氏の「「ガッ!」と壊れる」という表現は当を得ていると思う。またここでは漱石の「それから」で主人公が「真っ赤だ!」と言って外に飛び出していくくだりを想起させる。)

いろいろな意味で考えさせてくれる作品であるが、私の採点法では4点以上はもう一度観たいと思わせてくれる作品が該当するので、本作は3点である。

*見落としたのだと思うが、主人公が会場で教え子の女性と握手しなかったのは、どちらが手をひっこめたからだろうか?(教え子のほうだとしたら、主人公の犯行であることを直感していた?もしくは、そう感じられていると先読みした主人公が手をひっこめたのか?)

*『ピアニスト』というタイトルどおり前半ではあれほど様々な旋律が奏でられたのに対し、後半ほとんど音楽が響いてこなくなるのは(確かそうだったと思う)、主人公の生活リズムの消失とパラレルに感じられた。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)kazby[*] くたー[*] ALPACA[*] cecil muffler&silencer[消音装置][*]

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