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[コメント] ドッグヴィル(2003/デンマーク=スウェーデン=仏=ノルウェー=オランダ=フィンランド=独=伊=日=米)

「箱庭」で祝う独立記念日。(注意、レビューは冒頭からラストに言及、また『鬼が来た!』のネタバレ要素もあり。)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







小さな共同体に異質な人間が投げ込まれ(「投入」の意図は明らかにされない)、その扱いを誤ったがゆえに、共同体全体が絶滅してしまうという構造は、『鬼が来た!』とまったく同じである(その異邦人の案内役を務める人間が共同体の一般的価値観と衝突し、葛藤するあたりも同じ)。というよりも、昔からの神話や民話・伝承に典型的な構造をふまえているというのがより正しい言い方かもしれない。

ラース・フォン・トリアーの(最近の)作品は、常に「共同体に抑圧される異邦人」という図式が登場する。(「異邦人」という表現を使ったが、共同体の一般的価値観にそぐわない行動をとる人間という広義のニュアンスで。)現に、主人公=異邦人を苛む人は特定の個人というよりは、その共同体に住まう不特定多数という形をとることが多い。

ただし、前作などがどちらかというとヒロインの悲劇部分を中心に撮ることで共同体の抑圧性を描き出したのに対し、本作は共同体の抑圧性の部分をより中心に据えて、共同体の行く末を執拗に追いかける。その目的を達成するために用意されたのが、あの奇妙なセットである。通常、映画のセットはあたかもそれが現実であるかのように撮られるものだが、あのセットは現実ではなく映画のために作られたセットであることが否応無しに強調される。それによって、観る側は一種の息苦しさを感じ、閉鎖性が表現される。

また、セット以外にも本作はあらゆる場面で構造を意識した場面が頻繁に登場する。ポール・ベタニー演じるトムが執筆するドッグヴィルの物語(彼はときに自分が意図しない台詞をしゃべらされる)、その共同体の生死を一手に握るギャングたち、各章につけられた小見出し、共同体の姿を把握する俯瞰映像とナレーション。これらの要素がいちいち、これは現実ではなく一つの社会実験であることを強調する。スタンリー・キューブリック作品を思わせるような箱庭の構造と神の視点。

そして、あらゆる自由が制限された束縛だらけの箱庭の中で祝う独立記念日。アメリカ嫌いの発言を折に触れおこなうトリアーだが、実際アメリカを批判したいがために偏狭な共同体を映すというよりは、共同体の閉鎖性を描き出すうえでもっとも使いやすいイメージがそこに備わっているからこそアメリカを作品背景に据えたがるのだろう。他者への寛容を軽視し、今やもっとも偏狭な国民性を持する国が一番尊ぶ記念日が、イギリスからの「独立」を果たした日というのは、いかにもトリアーが好みそうな皮肉ではないだろうか。

ここまで徹底的に構築したことを誉めてもいいかと一瞬思ったが、エンディングを観て少し気が変わった。ボウイの「ヤング・アメリカン」をバックに映し出される実際のアメリカの貧困層の写真は、この箱庭で描かれた社会像よりもずっと説得力を持っていて(ずっと多くのことを語り掛けてきて)、むしろ本編における箱庭の限界・貧弱さを浮き彫りにしてしまったような気がした。あの犬にしろそうだが、作品内でわざわざ箱庭の外を映す必要があったのか疑問に感じた。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)Orpheus おーい粗茶[*] ジェリー[*] 緑雨[*] くたー[*] トシ[*] マルチェロ プロキオン14[*]

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