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[コメント] ブレア・ウィッチ・プロジェクト(1999/米)

悪くない。一見の価値はある。「三人」という心理的力学。地図云々の言い合いには疲れるが、そういう中にさり気なく「カメラ」「アメリカ」といったキーワードが差し込まれる。(2011.9.11)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「なぜ俺にカメラを向ける?」「もう撮るのをやめろ!」というカメラに繰り返し向けられるセリフ。遭難し、全員に疲労感が漂い始めるなか、それまで撮る側だった女監督に仲間の一人がカメラを向け、「きみがビデオカメラが好きな理由が分かった。現実じゃないからだ。カメラを回していれば、フィルター越しの現実でいられるんだろう」と言い当てる。再び自分にカメラが向けられると、彼女はしかめ面で見返し、「どうしろって言うの?」と苛立つ。撮る側はカメラを向けるそれだけで、撮られる側に(「反応しない」という反応も含めて)なにかしらのアクションを要求してしまう、そんなカメラの持つ権力性が暗示される。女監督は、こんなことになったのは全部自分のせいだ、と泣きながら告白するとき、罰するかのように自分にカメラを向ける。

 とうとうテントを直接襲撃され、魔女に追われている、と確信せざるを得ない状況に追い込まれても、カメラを回しながら女は「この国でそんなことはあり得ない(Not possible in this country)」と言う。ここはアメリカ、自然を徹底的に破壊してきた国だ、とむしろ自分に言い聞かせるように早口でまくしたてるが、画面に映る男の一人は耳を貸さずに唾を吐き、もう一人は言葉を遮るように「アメーリカ、アメーリカ」と虚しく歌い始める。その後、男たちはアメリカ国歌を歌いながら森を直進するが、同じ丸太のところへ戻って来てしまう。アメリカは「歴史のない国」とよく言われたりするけれど、それは開拓・征服という不断の暴力によってのみ作り出されたゼロ地点でもあるはずだ。征服し追いやって来たはずのものの復讐、という潜在意識的モチーフが感じ取れる(問題の魔女はもともと集落から森に追放された存在であるらしい)。

 毎晩ごとに深夜のテントのなかでカメラがオンにされる、という反復が独特の緊張を醸し出す。クライマックスへ向けた恐怖演出として用いられるのが、魔女の存在を決定的に示すなにかではなく、姿を消した友だちのうめき声、というのもなかなかおもしろい。ラストもなにが起きたのかと思えば、仲間が壁の前でじっと突っ立てるだけ。今となっては、というより、もともとからして馬鹿げた「真偽」の議論とはまったく別に、映画内の出来事として、決定的なことは何も起きていない、という解釈をも許す作りなのだ(テントの前に置かれていた包みの血まみれの中身にしても、はっきりなにかとは特定されない)。

 マーケティングの一事例として片付けるにはもったいない意欲作。続編はいらないと思うが。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ねこすけ[*] DSCH[*] けにろん[*]

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