コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ヴィタール(2004/日)

無残なる転進。監督、向かうべき戦場を間違えていますよ。(2007.3.21)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 率直に言って、「解剖を通じて」じゃなければいけなかった話なのか? 独自の「素材」が遂に「視点」に飛翔することなく終わってしまった。思い付き程度の陳腐なストーリーを人体解剖の重々しい空気ではぐらかしているだけ。たとえば、砂浜での舞踏などは本来見せ場になっていいはずなのだけれど、舞踏一本で見せ切ろうというだけの気迫が監督にないのがすぐに露呈する。そして、この映画がその終わりの場面に火葬場を選んだことはもっと非難されるべきである。結局、塚本晋也は「解剖」という中にドラマを見い出すことが出来ず、単なる「遺体」へ戻すことで決着をつけているのだから。恋人との死別というありきたりのメニューに「解剖」という色やら臭いやらの強いスパイスを挟み込んだだけ、要するに、見掛け倒しなのだ。既視感を通り越して陳腐なラストには与える言葉もない。

 「中身がない」とか「進歩がない」とかいうそのことで今さら塚本監督を非難しようとも思わないが、そんなことは百も承知でも何かしらの期待感を呼び起こしてくれていた(つまり、「中身がないくらいでどうしたっ!?」という気迫があった)監督が、いよいよ「中身がない」それだけの映画を撮ってしまった、という失望は禁じ得ない。予期されていただけに、これは痛ましくもあるし、反面、何だか諦めがついて清々ともする。『鉄男』や『東京フィスト』が、たとえ無内容であってもその謗りを怖れず一つのスタイル(ここで「一つの」と言うのは一本の映画の中での一貫性であって、別に全作品に渡るとかそういう意味ではない)を突き詰めることによって他に劣らぬ「映画」を叩き付けていたとすれば、この『ヴィタール』には一体何があるのか? 皮相的な意味では表現に幅が出ているけれど、本来的なスタイルという意味では全く絶望的。技術屋・塚本晋也(本作の撮影・美術に関しては、楽園イメージを除外すれば、よかったと思います)は着実に腕を上げたかもしれないけれど、「映画はそこにないよな」、と冷ややかに見つめるばかりだった。

(評価:★2)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。