[コメント] ゴダールの決別(1993/スイス=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
神話的・宗教的モチーフがなにやら下敷きになっているということらしいが(へぇ)、なんにしろ無知の特権、これは笑って見ていい映画だと思う(というか、神話なんてどう考えても映画で大真面目に演じられるものとは思えない)。
車から降りようとした男が突然倒れて、女が駆け寄り、
女「お医者様を!」
男「私が医者だ」
女「あら、私は絵の先生の妻よ」
夫「(横から現れるなり男に握手して)本も売ってる」
というベタベタなコントのようなシーン(それとも、これもなにか明確な引用元でもあるのだろうか?)と、「先ほど、きみは、所有形容詞をつけて私の名を呼んだ〔"Mon Dieu"="My God"のこと〕。私は汝のものである」という意味深といえば意味深だがどちらかといえばトンチンカンな神のセリフ、どちらもいたって真剣な意図があるのかもしれないし、どちらも単にふざけているだけかもしれないが、両方とも笑って見たって別にいいのではないだろうか?
「『共産党宣言』と『不思議の国のアリス』は同じ年に刊行された」という名状しがたい想像力を喚起する素晴らしき真っ赤な(笑)嘘。道端に置かれたピンボール・マシンから(?)発せられる"Quit talking, and stay choking."(話をやめ、息を殺せ)という謎の英語アナウンス。「勉強が足りないだけで、そのうち理解できるかも」などと考えるのはともすれば思い上がりの一種で、正直、私にはこういったこの映画のあれこれがそれぞれ何を意味しており、それらがどうやって全体を構成しているのかなどと分析・総合する気力などたぶん一生ない。しかし、筋を追うことやメッセージとして受け取ることを適度なところで放棄して眺めれば、この映画はちゃんと美しかったり、不穏であったり、清々しかったりして、見終わってそれなりになにかは残る。その「なにか」を無理に物語や情報に還元してしまう必要もないだろう。
「あとのことは、映像と物語を超えたところで起こった」
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