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[コメント] カッコーの巣の上で(1975/米)

「管理者」の善悪を明確に区別せず、あくまでその中間として描いた所が、観る者にその在り方を問う大きな武器になっているように思う。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







はじめは舞台が「精神病院」という事で、職員による患者への暴力、いじめ等の物騒な展開を予想したものだったが、実際はそうではなかった。

この映画の中での院内の職員達は患者達を邪険に扱うでもなく過剰に馴れ合うでもない。だが規則を乱した者には厳しい「罰」を与える。このように彼らはあくまで「仕事」として患者に接しているのだ。

だが、本来ならばそこに大きな間違いがあるのではないだろうか。上からの命令を忠実に遵守し患者達にもそれを強制する。そんな「管理者」達をここでは「社会的模範者」として皮肉っているようにも思える。現にマクマーフィーと最後まで対立し合い、結果的にはビリーを死へ追いやった婦長ラチェッドを院長は「院内一優秀な職員」と評価し信頼しているのだから。

又、同じく患者達(管理される側)の在り方も問われる。ビリーが命を落とし、 患者達の意識改革になると思われた「例の事件」であったが、その後も(チーフを除く)彼らは何ひとつ疑問を抱く事無くカードゲームに興じ、いつもと変わらぬ生活を送る。

結局彼らも管理される環境に慣れ過ぎて飛び立つ事すら忘れてしまった哀れな存在なのである。

過剰な「管理」が大空へ飛び立つ為の「翼」を退化させるというなんと出来の良い隠喩だろう。最後まで自由を主張したマクマーフィーは他の患者達とは毛色の違う異端的「カッコー」だったというところか。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)モモ★ラッチ[*] ina

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