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[コメント] 心の指紋(1996/米)

配役ミスと思われているウディ・ハレルソンのキャスティングの真の意味はエンドロールの背景シーンでおのずから明らかになるだろう……?
らむたら

**ネタバレ注意**
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端的に片付けてしまうと「いやぁ〜、思ったより面白かったな☆」で終わっちゃうんだけど、裏読みしすぎる癖のある僕の中ではいろいろと複雑な解釈が頭を擡げてくるのだ。ウディ・ハレルソンの善人のエリート医師のキャスティングについては『ハイロー・カントリー』の最後のカウボーイがそれなりに嵌っていたと思ってるので、ハレルソン=殺人鬼のイメージにそぐわない配役による違和感は逓減していたから何ら問題ないんだけど。ところでマイケル・チミノ自身もこの配役には半信半疑でいたとして、エンドロールの背景でマイケル医師が警察に連行されるシーンのためだけにハレルソンを選んだとしたら、僕はチミノ監督の意外なユーモア感覚に脱帽します。確かに善人のエリート医師よりは警察に連行されるシーンのほうが遥かに似合っているかもしれないなぁ。

あの医師を見ていて思ったのは、ダイエット意識が高く食品のカロリー計算を怠らない点、衛生意識が強く潔癖症も度がすぎた感じの点、衣服にせよ生活用品にせよ自動車にせよ高級ブランド品で統一している点、如才ないものの出世意欲は非常に強く従って当然拝金主義的傾向を併せ持っている点などなどまさにスティーブン・キングの原作の『ゴールデンボーイ』がナチスの残党と出会わなかったために内面の邪悪さを開発されず、そのままゴールデンボーイのまま大人になったような印象を受けたのもだ。実際のところこのマイケル医師には誰にでも潜んでいる内面の邪悪さというものが作者からは殆ど与えられておらず、潔癖症的な性格付けと相俟ってやや無機質な作り物っぽい人物像とも思えるのだが、逆にいえばハレルソンの眼鏡くらいではごまかしようのない邪悪な雰囲気が無機質で滅菌されすぎている人物像を黴菌で汚しまくって辛うじて汗と体臭を感じさせる人間味を醸成しているとも思えてしまう。

白人との混血のナバホ族の少年しかも末期癌で助かる見込みなし……この設定はあまりもネイティブアメリカンの現状を直截的に暗示しすぎている思う。実際、原住民(以後そう書く)文化は白人国家であるアメリカ文化に様々な合法的な手段を通じて冒されて、伝来の純粋さは失われつつあるだろうし、それはこの少年のナバホ族の母親が白人の父親に(結婚という手段によって合法的に:と昨日書いたがよく考えると少年の両親が結婚していたような記憶がない。普通は白人の男が原住民の女性を身篭らせて遁走、というパターンが考えられるので結婚してなかったかも。ただその場合だと一見合法的に見えるアメリカの原住民保護政策や隔離政策は巨視的に見ると国家権力による犯罪行為にすぎない、と解釈し直せばよい)犯される結果生まれた子供であるという点と照応しすぎている。さらに廃れつつあるそのナバホの血筋すら癌で失われる危機にあるというのは、まさに原住民の血筋がアメリカの中で年々消滅しつつある危機とあまりにも照応しすぎている。裏読みのしすぎではすまされない解釈のお膳立てが整いすぎたこの設定は、無意識的なものであるならマイケル・チミノがどんなに自然美を称えるような映像を織り込んだところで言い訳のしようのないアンチエコロジー的な思想を感知してしまい、『ディア・ハンター』のでっちあげロシアンルーレット以来根強く彼について抱いている不信感が思わず煽られてしまったものだ。しかも少年がナバホの伝説に従い、万病を治癒するという幻の湖を探し求めるだけでなく、実際に伝説の湖を見出しその湖の中へ溶け込むようにして消滅していったシーンなどはナバホ族(原住民)の存在そのものが伝説化してしまいつとある現状、あるいは伝説化するであろう未来の暗示として有無をいわさない結末になっている。無意識的にそのように描いたのであれば、原住民の消滅=伝説化を肯定しているようにも思えるのだが。だがエンドロールでマイケル医師が警察に連行されるシーンがあることで、ある意味アメリカの白人文化の象徴的存在である彼が犯罪者であることが示される。たとえ当初は彼が少年の被害者であり、後に友情に基づいて彼の命を救うために手を尽したとしても、とにかく“犯罪者”であることが示されることによって、原住民の消滅(及びその可能性)は白人中心のアメリカの犯罪であることが提示されているとも解釈されないこともない。僕にはマイケル・チミノの意図は分からないが、まさか彼がどうあがいても二重の解釈を避けられない安易な設定と物語の映画を無意識的に撮ったとは思えないので、この“美しい友情物語”の底を流れている強権的、権力的な思想、美しい自然にカモフラージュされたアンチエコロジーに少々懐疑的にならざるをえないのだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)モノリス砥石[*]

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