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[コメント] ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001/日)

ゴジラとは何か?/金子監督は幽霊の夢を見るか?
空イグアナ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







*おさらい:ゴジラの設定は、どこまで「生物」どこまで「非生物」として扱うかで意見がわかれる。監督が映画に込めるメッセージについても「核兵器」「戦争」「科学文明が抱える危険性」「環境破壊」「命」といった種類がある。こうした視点から、これまでのゴジラ作品を見直す。(詳しくは’54『ゴジラ』レビューを参照)

     *     *     *

この映画を見たときには、本当に「金子監督はすごい!ガメラで見せてくれたものは本物だった!」と思った。何よりも感心したのは、戦争の影が復活したことだ。ゴジラは戦没者の霊が具現化したものであり、クライマックスに見る破壊された都市と自衛隊の出動は、まさに戦争映画を思わせる。

考えてみれば、長い間ゴジラ作品において、戦争の影は忘れ去られていた。これまでにも核を問題視した映画はあったが、どちらかというと科学文明の危険性を取り扱っていた。『ゴジラ』(’84)でも引用した中野昭義監督の言葉をもう一度要約しよう。

「第一作目が作られた当時はともかく、’84年になると戦争なんてもう古いという時代だった。だからテーマは肥大しすぎた文明への警鐘とした。」

こう考えたのは、中野監督だけではなかったようだ。『ゴジラVSビオランテ』以降も、扱われるテーマは「科学」「自然の脅威」「命」といったものだ。核について語られることはあっても、「科学の危険性」を扱うだけで終わっていた。そこへ金子監督は痛烈な一撃を加えた。そう、戦争なんてもう古いという時代だったからこそ、ゴジラを復活させる意味があったのだ。

しかし・・・。

どうも釈然としない。映画館で見た当時は、「金子監督、やってくれた!」という気持ちが大きくて★5をつけたが、時間をおいてみると、釈然としない気分が大きくなってきて、今回、一気に★3まで下げてしまった。釈然としないのは、他でもない、「ゴジラは生物ではない。戦没者の霊が具現化したものだ。」という設定だ。

誤解のないように急いで付け加えるが、僕はゴジラを非生物とすることに反対はしているわけではない。過去のゴジラ作品の科学考証のひどさを考えると、むしろすがすがしいくらいである。(僕は、あんまり科学考証とか難しいことは考えないんだけど、それでも「?」と思ってしまうような解説が多かった)それどころか、「戦没者の霊」というアイディアは、ゴジラを戦争や原爆と結びつける、すぐれたアイディアだと思う。

ところが肝心の霊の描き方が釈然としないのだ。論理的に矛盾していないか?霊に論理も何もあったもんじゃない、と言われるかもしれんが、霊だったら何でもアリ、とは思わないで欲しい。オカルトにはオカルトなりの理論があるのである。かつてのゴジラが「科学考証」対して「?」と思ってしまったのと同様、霊の描き方に「?」と思ってしまう。

たとえば、この映画のラスト。海底へ潜っていくカメラ。ああ、またこのパターンか。死んだと思ったゴジラはまだ海底で生きていて、暗闇からガオーッと顔を出してジ・エンドってやつね、と思ったら・・・暗闇から現れたのは、鼓動するゴジラの心臓。こ、怖ええ!これは怖い。今までの顔を出してガオーッってパターンの何倍も怖い。「かっこいい。」、じゃなくて、「怖い。」本気で背筋が寒くなった。ゴジラの不死身さを、今までとは違った形で表現している。やっぱり金子修介は、他とは違ったセンスを持っていた、と感心したのだが・・・同時に疑問がわく。

何で、非生物に動く心臓が必要なんだ?

こまかいことは気にするな?でも今回のゴジラが白目なのは、非生物であることを表現するためではなかったか?そうした表現とラストはちぐはぐである。たった一つの臓器から再生するというのは、ゴジラの驚異的な「生命力」を表現したものだ。

ゴジラだけではない。天本英世が、実は幽霊だったというオチもそうだ。他の囚人をよそに、ゴジラの襲撃を見つめる天本英世。あれが幽霊か?幽霊の描き方を間違えていないか?それから彼は刑務所で何年暮らしていたんだ?松尾貴史らはラストで初めて気付いて驚いてたけど、そんなことってあるか?

僕が抱いている霊のイメージは、暗闇に血まみれの人が立っていたとか、姿を現すことはあるが、幻覚と区別がつきにくいものである。霊能者でもなければ、ずっと見え続ける、なんてことはない。普通の人には見えたとしても、短時間で消えてしまう。地縛霊みたいに特定の場所に留まることはあるし、数年にわたって繰り返し姿を現すことはあるが、とぎれとぎれに姿を現すものである。だから生きた人間(あるいはその他の動物)とは区別がつく。物がひとりでに動いたり壊れたりするポルターガイストは認める。しかしビルがドカーン、バキーンと破壊されるのが、霊のしわざというのは受け入れがたい。

ガメラ3』『クロスファイア』そして『大怪獣総攻撃』を見て思うのは、金子修介は超自然的存在とかオカルトを描くのが下手だということだ。下手だというのが言い過ぎなら、僕の好みと合わないと言おうか。

論理だけではない。物語としても、幽霊という存在が消化し切れているとは思えない。突然、「霊魂の正体は電気だって言う説がある。」とか言われても、よくわからない(レスブリッジの心霊理論のことかいな?)。石像も突然出てきて、突然壊されるので神々しさを感じない。前半新山千春が何かの導きを受けているようにも見えるが、曖昧で、後半はそういった雰囲気はなくっなってしまうのも、しっくりこない。警察署での「恐竜の生き残りに原爆がエネルギーを与えたとしても……。」という天本英世の台詞も唐突なように思う。ゴジラを初めて見る人にとっては戸惑う台詞では?冒頭にゴジラは原爆で突然変異した恐竜だ、と説明できなかったのか?いや、ファンにとっては、ゴジラが被爆した恐竜だなんていうのは常識だが、新設定を語るなら、まったくのゼロから説明したほうがいいと思うのだ。

僕が描いて欲しかった「心霊ゴジラ」はこうだ。

「ゴジラは、現代まで生き残っていた恐竜に、戦没者の霊が憑依したものである。」

あきらかに金子ゴジラは肉体を持っている。だったら「恐竜の生き残り」という設定を残してもよかったのではないだろうか。かつての、恐竜が原爆実験によって突然変異したもの、という設定の「原爆実験」という部分を「戦没者の霊」に入れ替えればよい。恐竜という言葉まで捨て去る必要はない。

映画のオープニングはこうする。現代にまで生き残っていた恐竜が、核実験の被害をうける。そこへ何かが迫ってくる。恐竜が突然、目を開く。ゴジラの誕生だ。ゴジラの襲撃をうけた日本では、ゴジラはいかなる生物か、さまざまな学説が飛んでいた。中にはトンデモない説もあった。ゴジラの正体は戦没者の霊だ、という説もその一つだ。はたして恐竜を突然変異させたのは、原爆なのか?それとも霊なのか?『エクソシスト』の少女が、悪魔に憑依されていたのか、精神を病んでいただけなのか、曖昧に演出していたように、ゴジラもその正体をめぐって見解が分かれる。いずれにしても、ゴジラの襲撃が、戦争を、原爆を思い出させることに違いはなかった・・・。

いつか、護国三聖獣を企画通りアンギラスとバランにして撮り直すことがあるならば(ないよね、そんなこと)、ゴジラの描き方も考え直してほしいものである。そうでなければ、せっかく戦争や原爆の恐怖を復活させたのにもったいないというのが率直な感想だ。

(評価:★3)

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