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[コメント] ファイト・クラブ(1999/米)

別にこの映画をバイブルに社会を変えてやろう、などという野望は僕にはない。これはエンターテインメントだ。そしてブラッド・ピットは僕にとってヒーローだ。
空イグアナ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







一応、どんでん返しと言えるものが後半に用意されているが、それほど巧妙なものだとは思わない。本当に巧妙なトリックとは、嘘をつかずに騙すことだ。

後半、種明かしの映像が流れる。エドワード・ノートンがビンをブラピに渡したと思ったのは実は一人芝居で、ビンはアスファルトに落下し、粉々に割れていたのだそうな。ブラピがノートンの手に火傷を負わせたと思ったのも実は一人芝居で、自分で自分の手を焼いたのだそうな。

これで「どうです騙されたでしょう?」と言われて、「いやあ、一杯食わされたな。」などと思えるか?全然思えない。ビンを渡すシーンでも、手を焼かれるシーンでも、監督は嘘の映像を流していたことになる。嘘をついて騙すなら話は簡単だ。誰だってできる。それがどんでん返しだと言うなら、推理小説なんて誰だって書ける。それよりも、嘘をつかずに騙された、というほうがよっぽど「やられた!」と楽しめる。

詐欺師が「消防署の方から来ました。」と言う。あれなど嘘をつかずに騙す手口の一例だ。もちろん詐欺は悪だから、許すわけにはいかない。詐欺ではなく、人を楽しませるために使うのが、どんでん返しだ。

さて、だからこの映画は嫌いか、というとそうではない。普段の僕なら、「こんないいかげんなトリックは大嫌いだ!」というところだが、この映画にはそんなふうに感じない。

まず第一にトリック以外の部分が美しすぎる。デビッド・フィンチャーらしい反社会的なストーリーと、暗い映像がとても素敵だ。トリックも駄目で、映像もストーリーも駄目だったら、ただのつまらない映画だが、この映画はトリック抜きでも充分楽しめる。

第二に、そもそも、この映画から「どうです騙されたでしょう?」などという監督の声を感じない。世の中には、「この映画はこのトリックが見せたくて、それだけの理由でつくったんだ」というようなミステリ映画が存在する。トリックが先にあり、それに似合うストーリーを考える、というようにしてつくられた映画である。それに対して、この映画では、トリックは「おまけ」に過ぎない。さっき、この映画はトリック抜きでも楽しめると言ったが、それはトリック以外の部分が面白い、というだけでなく、優れたストーリーが先にあり、それに簡単なトリックをくっつけたような映画だからだ。

そして第三に、これまで言ってきたことと矛盾しているが、このトリックが「妙にツボに来たから」である。このトリックは「一杯くわされた。」と言って楽しめるものではなかった。ただストーリーや映画のテーマと相まって、妙にツボに来たのだ。そして、このことこそが、この長いレビューの本題である。

ブラピはノートン見た幻影に過ぎなかった。ノートンは、理想の自分を、ブラピとして投影していたのだ・・・これが妙にツボに来た。なぜならこのノートンの姿は、映画を見ている僕そのものだからだ。

この映画のブラピはかっこいい。憧れてしまう。もちろん、現実に「ファイト・クラブ」を開いたり、この映画をバイブルに社会を変えよう、などと言うつもりはない。僕はこの映画で描かれていることが、恐ろしいことだと知っている。すでに指摘されているが、この映画に描かれていることは、オウム真理教や連合赤軍を連想させる。

だが、そうとわかっていても、ブラピをかっこいい、と思ってしまうのだ。そして、決して実現しない、いや実現してはならない憧れを、この映画に託すのだ。ノートンのように、ブラピという幻影によって、自分の心を満たすのである。

社会を云々した台詞がたくさん出てくるが、それによって色々考えさせられた、ということはない。考えさせられたから好きなのではなく、かっこいいから好きなのだ。この映画は僕にとってエンターテインメントだ。現実世界では暴力を嫌いながら、悪と戦うヒーローにカタルシスを感じるのと同様、ブラピというヒーローの台詞に酔いしれるのである。

(評価:★4)

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