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[コメント] 告白(2010/日)

「心の闇」の料理人である湊かなえの原作を、現代邦画界の「映像の詩人」である中島哲也が映画に仕上げた。これぞ化学反応。
空イグアナ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







こりゃ凄い。

何がすごいって、あの原作を映像化したというのが、まず凄い。

映画より先に原作を読んで、これをどう映画化したのだろう?と思った(中島哲也の映画で、先に原作を読むのは、これが初めてです)。各章が、それぞれ違う人間の告白になっている連作短編集のような構成。モノローグだけでできた物語だ。第一章(松たか子の授業の場面)なんて、まるごと教師が授業で喋った台詞だけでできている(生徒の動きは、いや、教師の動作だって、その台詞から推測するしかない)。これを映像でどのように書き綴るのか。

もしかしたら、原作とは全然違うストーリーになるかもしれないな、と思っていたら、公開された映画は、ほぼ原作そのままだった。湊かなえが書き綴った台詞に、中島哲也がPVをつけたという風にも見えた。

原作は、良く言えば非常に読みやすい、悪く言えば特徴のない文体だ(ただし、これは致命的な欠陥とは思わない)。もうちょっとライトノベルみたいにクセのある語り口調にして、章が変わって話す人が変わったら、文体も変わるというようにしてもよかったのではないか、という気もしないではないが、それは大した問題ではないだろう。新聞各紙の投書欄を読んでもわかるように、ある程度整理された文章というのは、どれも似ているものだ。

原作の醍醐味は、文体よりも、少年犯罪、いじめ、HIVといった重みのある題材を大胆に調理したことだ。こうした題材を扱いながら、社会的な問題を深く掘り下げていくわけではない。だからこそ読みやすい。そして作品世界に入り込んでいける。少年Bこと渡辺修哉(西井幸人)が語る通り、「心の闇」という安っぽいフレーズを、報道する側も、視聴する僕たちも好む。ちょうど、教師の話が殺人事件に移ると、急に静かになって耳を傾け始める生徒たちのように。

(ついでに言うと、薬品や機械を登場させておきながら、難しい専門知識が出てこないのも物語に入り込みやすい一因。もともと短編だったのを長編化したのは、作者もHIVについて勘違いをしていて、後からフォローしたためでは?というのは、何の根拠もない私の勝手な想像です。どこを調べても載っていない)

各章の語り手はみんな、どこか悪役としての側面を持っているにもかかわらず、引き込まれていく。ちょうど、「夜の街は汚れた奴らばかりだ。」というタクシードライバーの日記を読むように。そしてラストは「これがあなたの更生の第一歩だとは思いませんか?」と言いながら、更生どころか思いっ切りトラウマを植え付けるような仕打ちをする。それも爆弾だと知っていながらそれを仕掛けてくるという明らかな犯罪行為。にもかかわらず、まるでダークヒーロー(ヒロインか)がすべての元凶であった悪の親玉を倒したような清々しさだ。告白した人たちには、それぞれの言い訳があったはずなのに。

ただし爆弾が本当に爆発したのか、教師の言葉だけの嘘なのかはわからない。それぞれ違った視点から一つの事件を語ることで、すでに何が真実なのか、何が正義なのか、何を信用すればよいのかわからなくなっている。そのまま物語は、エピローグもなく、ぶつ切り状態で終わってしまう。後に残るのは衝撃のみ。

中島哲也は、同じ題材、同じストーリーを、見事な映像美で書き直した。

何度も映される空。まるで人の心を描くように。人々の動きを映すように。無情に流れていく時間をあらわすように。

何度も出てくる鏡。まるでそこに見えるのはすべて裏返しの偽物だというように。

何度も入るスローモーション。何気ない日常の一幕までも、すべてを印象付けるように。

これまでの中島監督の映画は、VFXを駆使して、もっと漫画っぽい画が多かったけど、今回は、今までで一番現実的な映像だったのではないかな(眠っている間に体をきれいにされた下村直樹(藤原薫)の“歯キラーン”の演出が浮いていたように思う)。もちろん、踊る生徒やスローモーションなど、非現実的な装飾は多いけれども。

北原美月(橋本愛)なんて、どういうアクションをしたからというより、ひたすらカメラ目線になっているその目ヂカラが印象に残った。(プロフィールを見たら、モデルだそうな。なるほど。『嫌われ松子の一生』なんかもそうだけど、中島監督はやはり人選がうまい)

木村佳乃は苗字つながりじゃないけど、木村多江並みに不幸な役が似合う役者に思えてきた。彼女が笑顔で包丁を持って行くところが怖い。文字だけの原作からは味わえなかった恐怖だ。(原作では、彼女の遺書代わりの日記で話が進んでいたわけだから、書き終わった後の、刺しに行く場面は、錯乱した直樹の視点でしか描かれていない)

パンフレットを読んだら、インタビューで監督は、「この台詞がよかった。」とかいうのではない、と語っていた。無声映画を作る気分だったと。

そうなのだ。これ、びっくりしたんだけど、心に残る名台詞、というものが無いのだな。あれだけ言葉で構成された原作だったはずなのに。もしかしたら原作未読で観た人には、印象的な場面と一緒に心に残った台詞があるのかもしれないが、少なくとも原作を読んでいる一人として、監督は原作のこの台詞を強調したな、という部分が見つけられなかった。あるとしたら、最後の「なんてね。」。他には「あなたたちは優しいんですね。」が印象に残った。しかし、この二つは、原作にないものだ。

原作との大きな違いは、話の順番である。第二章、第三章、第四章の順番が変わって、ごちゃまぜになっていること、そして、ラストで森口悠子が渡辺修哉に電話で話していた内容の一部が、映画では、それより前に、北原美月とファミレスで対面して話していることだ。小説というものは、もともと第一章、第二章と区切られていくのが普通だが、映画でそれをやって、しかも主人公を交代させて行ったら、作品としてまとまりがなくなる恐れがあるからだろう。

しかし、第一章を丸ごと残し、第五章、第六章をクライマックスに持ってくる、といったように、おいしいところはしっかり押さえている。もともと第一章「聖職者」だけの独立した短編だったのを、その後の章を加えて長編化した小説だけに、第一章は他の章と比べても強烈なインパクトがある。そして渡辺修哉の告白を後半に持ってきて、彼の目論見が、あと一歩のところで壊されるあの爽快感はきちんと残している。

映画は、爆弾が爆発する様子を画として見せたためか、教師が語るだけ語った最後に「なんてね。」という一言を入れることで、どこまでが本音なのかわからなくした。この一言も、どこにかかるのか、爆弾は本当は爆発していないという意味なのか、こんなのが更生になるわけがない、自分は復讐しか考えていないという意味なのか、そして聞こえるときには画面が暗転しており、教師が本当に口にしたのか、心の中で呟いたのかすら曖昧だ。

ファミレスでの松たか子の、誰に向かって語っているのかわからないような表情がまた見事。そして店を出た後の涙。ここは完全に映画のオリジナルだ。これはどういう意味なのか。復讐に走る自分への嫌悪感、犯罪に手を染めた生徒、自分の復讐の対象となった生徒、復讐の予想外の副作用を被ることになった生徒(いじめの矛先が美月に向いたのは申し訳なかったと原作で語っている)への同情や罪悪感、そういったものが一気に噴出し、しかし泣いてすっきりしてしまえば、泣いていた自分も、マザコンの少年も、「馬鹿馬鹿しい。」と思えてしまう−−−そんなふうに見えた。

彼女の心情を、告白以上に重きを置いて、涙と雨で表現してしまう。この意地が、質の高い映画を生んだと思う。

2010年のベストです。

(評価:★5)

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