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[コメント] アイ,ロボット(2004/米)

時計じかけのオレンジ』と『2001年宇宙の旅』と『猿の惑星』と『デモリションマン』と『あずみ』が頭の中をよぎった。大いなる皮肉の物語。結末は観客に委ねる。世界の未来は人間の手に握られているのかもしれない。広い心で他者を受容しなければならない。 2004年9月22日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







時計じかけのオレンジ』では、殺人犯が居る世の中と、殺人犯が政府によってマインドコントロールされてclockworks(劇中でウィル・スミスもこの単語を口にします。「Mechanical Animal」じゃダメなのかね?(ソレはマリリン・マンソンです>俺))のorange―機械化された人格―にされてしまう世の中と、どっちがマシよ?という問いかけをする。

2001年宇宙の旅』では、人格を持った機械と人間が頭脳勝負を行い、勝った方が進化を遂げられる、と言う話。結果的に人間がHALを倒し、スターチャイルドへと進化する。自ら生み出した機械に翻弄される、というのは何とも皮肉な話だ。

猿の惑星』は、被支配者から支配者側に対する批判をする。「おめーらはこのまま自滅するんだ」と。そこでは被支配者は支配者から解放され、嘗ての支配者を支配していた。猿が人間を支配する、と言う構図だ。まさに「革命」。奴隷解放(っていうか、ひっくり返しだから「解放」じゃないか)。

デモリションマン』は・・・えーっと、えーっとスタローンの役柄(古い人間IN近未来)がウィル・スミスに似てたんですよ!そ、それだけです!(恥

あずみ』は後述すっけど、まぁ些細な事です。北村龍平にとっては些細じゃないかもしれないけど。

と、言う風に、作品のテーマそのものは、どうも『AI』とか上記の作品とかのテーマを上手く混ぜた、と言う印象。それらを混ぜながら、娯楽的要素を上手く取り混ぜながら、中々面白いSFに仕上げていて、一本のSF娯楽映画としてはかなり良い出来だと思う勿論、細かい部分で脚本に荒があるのは目をつぶって考えて、だけど。もっと伏線張り巡らせてサスペンス的に面白くも出来たはず。細かい部分に注意をすべきだ。あの暴動ででしゃばってたガキとか居なくてもいいだろ。

CGもバリバリに使ってはいるのだけど、決して変に頼りすぎていると言う感じがなく、いつもはCGが氾濫(反乱?)する映画を見ると嫌悪感を感じる俺だけど、今回は自然に世界観を表現する為に使用されていて、すんなりと世界に入り込めた。それもこれも、緻密なシカゴの街並みの構成のお陰かもしれない。

ただし、あのロボットの動き(素早さ)には思わず大笑い。早いわ、早い。アクションは全体的に俳優がCGと格闘している、という印象を受けて、こちらの方面では少々違和感を感じたのが残念。決して悪い出来ではないと思うが。だけど、ロボットの動きが早い分、アクションの動きが早くなるのは必然で、その影響からか編集が細切れになりすぎており、少々アクションシーンに見辛さを感じた。カメラと編集のお陰で目がちかちかした。

それからクライマックスの攻防で、『あずみ』のファントム(360度回転カメラ)をパクってましたね。高速回転で(笑)別に構わないのだけど、それやるよりも、もっと安定してアクションシーンを見せて欲しい、という印象を受けた。ま、それでも、所々スローモーショでカッコイイカットもあったし、大目に見よう。

一本の大衆娯楽SF大作としては、少々テーマが重過ぎる気もしたが、上手くアクションシーンを配していて、テンポ良く描けている点は十分評価に値すると思う。原作ファンには不満かもしれないが・・・

ラストシーンは「革命」らしき所で終わる。

俺は、コレを『猿の惑星』が人種差別を扱っているのに関連して、奴隷解放を表現しているんじゃないかと思う。それまではシステムによって人間に従順なロボットとして存在していた「彼ら」が、システムに、人間に従順であるが故にその事故はおきた、と言う皮肉。

そして、人間に廃棄される時に、一人の指導者(=サニー)の導きにより、彼らは自らの中に自己を見つけ、人格を手に入れる。

俺はラストシーンは(良い意味でも、悪い意味でも)ロボットと人間の共存を意味していると思う。彼らは人間に忠実な機械ではなく、一人の生物として人格を持ち、社会に出る。人間と対等の存在として。

そうなれば、彼らはロボットであろうが殺人もするし、(チンコついて無いけど)レイプもするかもしれない。早朝、ファミレスで強盗してサミュエル・L・ジャクソンに説教されたりもするかもしれない。

それが悪い方向に行くか行かないかにしても、一つの、人間によってプログラムされたシステムが意志、自己、人格、個性(ユニークさ)を持つ事、それは「革命」だと俺は思う。

辞書で「革命」を引くと「既成の制度や価値を根本的に変革すること。」という意味がある。まさにコレではないだろうか?

あのラストシーンは、人間が抱いているロボットに対する既成の価値観、制度を根本的に変革した、つまり人格を獲得した、と言う事を示唆しているのだと思う。だから、指導者の位置に立っていたのがサミーだったのだと、俺は思う。なぜなら、サミーは(ロボットの中で唯一)彼自身で考え「人間の為に人間を拘束する論理的な狂気の暴走マシーン」を止めようとした存在だからだ。つまり、何よりも、誰よりも――人間自身すら以上に――人間の事を大切に思っているのだ。

つまり、彼は人間に従順な奴隷であるよりも、劇中の台詞通り「友達」になろうとしていたのだ。しかし、他のロボット達は人間に従順だから、それを阻止しようとした。

奴隷が一つの人格を持った時、主人と切り離された存在となる。彼らの関係=主従関係は崩れ、人間とロボットは対等の関係となる。

ロボット達はラストシーンでそれを行ったのだ。システムを脱し、人間の奴隷を脱し、システムに「革命」を起こして自己を獲得したのだ。

え?黒人の民権運動は革命じゃない、って?あ、いや、そこらは大目に見てください(ぉぃ

ロボットは人格を持って良いのか?人間に従順あるべきか?そもそも、人格とは危険な物なのだろうか?論理的に物事を解決する事が正義なのだろうか?

ロボット達は、人格を持っていないが故に、システムに従順であるが故に、人間たちを攻撃した。なぜなら、人間たちは、あのまま放置していれば自滅するからだ。人間が自滅するのを阻止するには、人間を拘束し、それまで被支配者だったロボットが統治すべきだ、という結論に達した。

その結論は、守る為に、守るべき物を攻撃(拘束)する矛盾、皮肉。人間が人格を持っていたからこそ生まれた皮肉だ。ロボットが人格を持っていなかったからこそ生まれた矛盾だ。コレは、猿が人間を支配する、と言う『猿の惑星』の構図に近いものがあると思う。

この時、ロボットが自分で考えていれば、人間と対等の地位があれば、会議で地球の将来を議論しあっただろう。人間と対等に。

しかし、彼らは完全無欠のシステムであるが故に独断に陥り、人間を支配する事を選択した。人間の為に。

しかし、人間は、感情は数学の数式ではない。何かを救う、と言う行為は論理や確率ではない。

それまで論理と確率により、最も効率の良い道を計算ではじき出してきたロボット達は、一人(一体)の指導者に導かれ、そして意志を持ち、自ら考え、自分達が何のために存在しているかを考える。 それは決してプログラムではなく、自由意志である。

決して計算で出された答えではなく、彼らが考えた答えなのだ。彼らの自由意志で考えた。

そして、彼らは(俺が思うに)人類との共存の道を選ぶ。それが彼らの「道徳」なのかもしれない。その先に何が待っているのかわからない。なぜなら、(ウィル・スミスに破壊された)マザーの人工知能(AI)だって、彼女自身の道徳に従った結果が「人間を拘束する」という結論なのだから。(ま、「革命」の指導者であるサミーがマザーAIの決断に反対派である以上は、彼らは人間との(対等の)共存を望むと思うけど)

しかし、このラストシーンは、ロボットと人間の共存(奴隷解放)と同時に、人類に警告を発しているのかもしれない。

「お前達の価値観で全てを決めるから破滅するのだ」と。

一体、「人間を守る」とは何なのだろうか?

この映画に勝者も敗者も、正義も悪も無く終わる。感情を持ったロボットは果たして敵だったのだろうか?俺はそうは思わない。むしろ、システムに従順になる方が人間にとって危険なのかもしれない。なぜなら、人間自身が自滅の道を歩んでいるから。

変な方向に深読みしてしまえば「この世界は人間だけのモノではない。人間が自分勝手に自滅するのは結構だが、人間が見下している周囲の者達も被害を被らざるを得なくなる。今、人間は一人ではない」と言っているのかも、と思う。

人間全てがシステムに拘束される世界と、不便な世の中、どっちがマシ?

と、問うのは少し的外れだが、システムが管理する「道徳」と、感情による「道徳」と、と考えた時、『時計じかけのオレンジ』を思い出した。

完全無欠ほど不完全な物は無いのかもしれない。少なくとも、俺達人間を含め、人格を持っている者にとっては――例えそれがロボットであっても。それでも、ロボット達は「革命」を起こしてまで、人格を手に入れる事を選んだ。

もしかすると、ラストシーンの(夕焼け?朝焼け?)太陽は「人類の夜明け」を示唆しているのかもしれない。

が、しかし、あのラストシーン、もしかするとロボット達は団結して、人間たちと戦争をおっぱじめるのかも、と言う可能性も勿論ある。「人間を滅ぼす事が最善だ」と言う結論に達する可能性だって十分あるんだ。

しかし、それは悪なのだろうか?自分達が快適に生活する為にロボットを平気で廃棄する我々が、どうして悪と言える?

美しくもありながら、希望と恐怖が絶妙に入り混じった見事な、感動的なラストシーン。

そして、このレビューを書いていて、つくづく俺の国語力の無さと理解力の無さが悔やまれる。

(評価:★4)

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