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[コメント] デッドコースター(2003/米)

どうにかならんのか、この邦題・・・。勘弁してくれよ。 2003年7月14日劇場鑑賞 『ザ・グリード』ネタバレあり
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、なぜこの邦題なのか問いたい。『ファイナル・デスティネーション 2』ではダメなのか。大体、正式な続編であって、この続編には一作目からの継続が多くある。しかも、一作目からの継続を伏線としたオチまで用意してあるのだ。(ラストで吹き飛ぶ少年は、恐らく「死ぬ予定だったのに助けられた」からではなく、「事故の生存者に助けられた」からだと思う。そうしないと、事故現場で助けられた人全部死神に取り付かれる事になるもん)

それなのに、タイトルを変えてしまったらなんとなく見に来て、「飛行機事故って何?」とか思う人が多発するじゃないか。前作のタイトルが呪われていて、死神に「ヒットしない」呪いをかけられてるなら仕方ないけど(仕方ないのか?)、全く違う邦題で全くの別物(チラシ等の裏面にも『ファイナル・デスティネーション』の事は触れられていない)として宣伝している限り、前作を予習せずに見に来てきちんと理解できずに映画を中途半端にしか楽しめずに劇場を後にする人が続出するに違いない。

頭おかしいんじゃないの?タイトル決めた人。

で、映画の内容。あまり期待はしていなかったが、期待以上の出来栄えだった。面白い。『マトリックス』なんか見てる暇あればこちらを見たほうが良いだろう。監督は『マトリックス リローデッド』のカーチェイスシーンのアクション監督らしいが、冒頭の事故映像は凄い。潰れて生焼けして吹っ飛んで。ありとあらゆる「生き地獄」を見せ付ける。そしてそれが予知夢であると観客が知った瞬間からデスゲームはスタートする。

前作『ファイナル・デスティネーション』は試写会で見た。タイトルがなんとなくカッコ良かったからなんとなく応募してみたら当選し、何の前知識も無く、映画の内容も全く知らずに見に行った。すると、良い意味で期待を裏切る圧倒的な面白さ。誰が次に死ぬかわからない中、助け助けられの繰り返しで迫ってくる「死」を回避する登場人物たち。しかし、ほんの僅かの気の緩みから’それ’は忍び寄る。オリジナリティと緊迫感が溢れる展開と、容赦ない残酷描写で俺をスクリーンに釘付けにする。ほんの僅かの気の緩みが死に繋がる、と言う登場人物達の状況を俺まで体感していた。そしてラストシーン。観客も主人公も既に気を緩ませていた矢先に看板でぐしゃっ!その爽快感。逃げ切れない、と言う絶望的な状況で終わるあの映画は、絶望を爽快に描いた傑作だった。「突然訪れる死」と言う物を極上のエンターテイメントして描き出したのが前作だった。

で、本作。前作の設定をそのまま引継ぎ、さらに前作を丸ごと今作の伏線とした展開。確かに面白かった。

だが、良く考えてみよう。前作での良かった点は、まず斬新さにある。確かに続編、と言う事で斬新さに欠ける事は仕方がないだろう。だが前作は、主人公すら死ぬかもしれない、と言う状況を描く事で観客に「誰も生き残れない」と言う絶望に満ち溢れた緊張感を見せる事でその緊張感を持続していた。それが本作にはあったか。否、全く無かった。

本作の主人公は一度(一度目に警官に助けられたのはこの映画で「危機」といえる代物であろうか?)も危機に遭遇しない。その上、何度も予知夢を見るので観客は「死」の予兆を知った状態で登場人物の「死」に遭遇するので心の準備が出来てしまう。結果、そこに緊張感は生まれず、ただの残酷ショーに成り下がってしまっているのだ。そりゃ、俺みたいなアホは残酷ショーだけでも楽しめるさ。だけど、その残酷ショーだって緊迫感が無ければクソの役にも立たない子供騙しだ。だから、見る時は「死に方」を想像しながら見ると良いだろう。そうすれば「死ぬ、ここで死ぬぞ」と考え、ある程度の緊張感が生まれる・・・かも。。。

つまり、本作の決定的なミスは主人公に危機が及ばない事と予知夢(及び予兆)を多用しすぎた事。そして、前作の生存者を登場させた事だ。前作は突然の看板落下による死で終わった。つまり、見終わった観客は「生存者0」として劇場を後にした訳だ。よって、前作を鑑賞済みでこの映画を見た観客は「生存者0=逃げられない=残酷ショー万歳!」と言う心境で見に来ているはずだ。いわゆる「日常的な死」がどれだけ面白く描かれているか、と言う事だろうか。だが、初っ端から前作の生き残りを登場させた事により、観客は「このゲームからは逃げる事が可能である」と思い始める。さらに、そこに「死神に関して詳しい」と言う人物からの助言まで貰う始末。

これでは緊迫感何ぞ生まれるはずも無く、ただの謎(=デスゲームの意味)解きムービーになっている。別にカタルシスを求めている訳では無い。謎が解けた時の爽快感なんぞ誰も期待しちゃいない。大体この映画に謎なんて無いのだ。この映画は「登場人物が生き残る事が出来ない」事に意味があるのだ。前作だって必死に謎解きながら次々と仲間が死んでいく絶望感の中、「俺達は助かったぁぁぁぁ!」と言う矢先にあのラストだから爽快なんじゃないか。その絶望的な状況から必死に逃げようとする主人公。だが死は非情にも・・・・と言うラストが爽快なんじゃないか!!謎解きに終始するあまり、主人公に危機が及ばないなんておかしいだろ!

ザ・グリード』のラストだってそうだ。必死に化け物から逃げて船から脱出した途端「お次は何だ!?」で終わる。その絶望的な状況を中途半端に描写する事によって観客は想像力を膨らませ、胸をワクワクさせながら劇場を後にする。前作『ファイナル・デスティネーション』のラストだってそうじゃないか。

今作は主人公に危機が全く訪れない事と、「生き残れる可能性」を設定してしまった事により、緊迫感はほぼ皆無と化してしまった。が、しかしそんなに悪い脚本でもない。前作の主人公たちの「死」に関わった人間が今回狙われている、と言う設定(←この設定の繋ぎ方はメチャクチャ上手いと思う)。そして予兆から連想されるあらゆる物を描写し続け、観客に「来るぞ、来るぞ」と期待させる、じらし戦法(?)。確かにあらゆる面で面白い事は面白かった、が、この映画で緊張感が無けりゃ何度も言うけど、ただの残酷ショーでしか無い(←俺は好きだけどね、残酷ショー)。劇中何度笑った事か(←不謹慎)。

大体さぁ、映像に関しては文句なしだよ。残酷シーンを演出する時の映像はメチャクチャ緊張感溢れてるから。だけど、脚本に演出力が無いから、緊張感が持続しない。前作の様に「次は誰が殺られる」的なものが無いんだよね。映像ってなぁ一部分(=残酷ショー)のみを演出するだけでいいんだよ。見所(本作では「死」の描写)は脚本で盛り上げるのではなく、映像で盛り上げるべき箇所なのだから。だが、映画全体を通しての緊張感は脚本で生み出すものだろ。映画全体を通して緊張感が全く持続していないのは脚本に問題がある証拠では?

大体ラストシーン。そりゃないだろ。今まで必死にゲームで生き残った二人(っていうか妊婦は何処行った!?)を殺さずに、一瞬しか出てこなかったガキを吹っ飛ばす。それじゃ「爽快な絶望感」が味わえないじゃないか。

この手のラストは主人公と一緒に観客も絶望的なラストを迎える事に意味があるのでは?「終わりなんて来ない」と言う絶望感が爽快なんじゃないのか?

と、言う訳で、脚本に関する緊張感を生み出す演出は酷い物だったが、映像面での演出は確かに上手いし、前作からの伏線と残酷ショーを存分に楽しめたので★4を献上。

しかし、ホント、なんとかならないのかねぇ、このタイトル・・・。

(評価:★4)

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