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[コメント] 失楽園(1997/日)

心中物が世の中に受け入れがたいものになった理由は、封建社会からは脱皮しつつある社会だからだろう。今の世の中選択肢は多く、深いものだと知らない人が作った映画。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この作品、1950年代頃に製作された映画だと良かった。森田芳光でも別に構わないが、溝口健二監督、撮影宮川一夫だと素晴らしくなったことだろう。それにしても森田芳光がラストで一緒に心中しているようで、何とも哀しき映像であったと感じる。

いつの時代も、その時代時代にマッチした展開が好まれる。日本古来から存在する教科書どおりの心中物映画を今やったところで何が産まれると言うのだ。絶え間なく前進してこその芸術であるならば、この作品は映画ではなくコピー用紙の文字だ。自分から働きかけないで、過去の今風に模倣真似をするとは芸が無さ過ぎである。(云々以前に芸術はそうなのだが、ここでは「あるならば」にする。)

謙虚を良しとし、本能を出すことが悪とする日本社会の不条理と、封建体質の存在を嘆く映像の羅列に込められたメッセージというのは、いつの時代にも何故かフィットしてしまう。当然、異論はあるだろうが私は素直だから素直に男女の仲を引き裂く思想が憎らしく疎ましく思ったのだが、ラスト、その安易さが近年毎度私の期待を打ち消す。(死後硬直で抱きしめ合った死体という、究極の愛の結晶というオブラートで誤魔化されそうになったが、)心中で〆ることで物語を終了させる展開がいつまでも快進撃を続けないことを立証した、ここの平均点を見てホッとした。

1999年正月、お笑いの業界から暗く沈む日本の社会を励ますのが目的で、吉本興業は【不況ネタ禁止令】を出した。文化(人間の想像力など)が文明(社会など)を支えていくのが健全な姿であるのは、周知の事実。森田芳光一人が悪い訳じゃないけれど、彼はもう少し日本映画界を考えて行動して欲しかった。だからか、私は彼に優れた心中物映画が何故名作になったのかを、歴史的背景を含めもう一度出直して欲しいと思ったりした。(『家族ゲーム』等を無駄にして欲しくないとも思った。)

…密かに私は、スタンリー・キューブリック監督のように、作者スティーブンキングらにヤイヤイ言われながらも『シャイニング』の原作を自分のモノにした根性が見たかったのだが、彼には荷が重すぎたようだ。それに老いた才能には耐えきれなかったのだろう。もう一度言うが、種が切れかかった逆絶倫男の寂しき姿が、一緒に心中しているようで何とも哀しき映像であったと感じる。

で、才能というのは、絶えず新しい空気を肺と脳に取り入れて鍛え続けなければ枯渇することを改めて知らされたので、3点。

2002/10/16

[追記]

私が思うに、愛や好きという感情を夫婦というので束縛されたら、互いの魅力が半減する。不倫が良いと言う訳じゃないが、愛するという行為を否定するような人間には同調しかねる。それ系のコメントがあって、個人的に少しガッカリ。書くべき事が無いなら仕方がないが、今後書き直す時期がきっと理解できない彼らに訪れると、私は予想する。

最後に。あと出会いが不自然だと思うかもしれないが、出会いは突然だ。ネットからも生まれるという事を忘れてはいけない。

(評価:★3)

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