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[コメント] 生きものの記録(1955/日)

「じゃ、わたしたちはどうすればいいんでしょうか・・・」労働者たちから言われて老人はたじろぐ。その醜態から目をそらせてはならない。彼は大多数の人々の代わりに「無限責任」を背負ってしまったのだ。
ジョー・チップ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







マンガ評論家(?)呉智英氏の著作『サルの正義』に「無限責任」という話が出てくる。「非力で有限な人間存在は、無限責任を目の当たりにしたとき、何を語れるのか。」これを読んだとき、私はこの映画のことを思い出した。

我々は物事にどこまで責任が持てるのだろうか。個人で持てる責任はわずかなものだろうが、組織が大きくなってくると最終的に国家レベルとなり、そうなると核兵器を持つ国は地球的な規模の責任を持つことになる。人類は100年前までそんな大それた責任を持つことはなかった。だが、誰が悪いのか知らないが、こんなとてつもない重荷を背負うことになった。明日にでも人類は滅亡するかもしれない・・・これほどの重圧にも我々が平然としていられるのは、その責任を国家に任せて重さを分散させているからに過ぎない。一介の個人がその重さを自覚して背負いこんでしまったら・・・狂うしかあるまい。

中島は工場に火をつけた時点では、まだ正気だったかもしれない。家族を総出で国外に脱出させる、というだけならば財力があればなんとかなる。だが労働者たちが前に立ちふさがったとき、中島は気がついてしまった。「そうだ、わしは間違っとった・・・家族だけでは駄目だ・・・みんな、みんなも行こう・・・」みんな・・・肉親にも社員にも家族があり、そのまた家族があり「みんな」は延々と続いていく、結局核戦争から逃げるには人類全体を救わねばならない。中島の背中に全人類が乗っかってしまった時、彼は狂ってしまった。

こういう結果になることが分かっているから、我々は核戦争から人類を救おう、などとは口に出さない。しかしだからといって責任がないとは言えないのだ。近年、全面核戦争の可能性は薄れてきている。 だがイラクでは(マスコミで報道されない事実も含めて)相当悲惨なことが起こっているが、我々はこのことに責任を持たないのであろうか? 他にも世界各地で大量殺戮、虐殺、飢餓、弾圧等の国家レベルの犯罪が横行しているが、これらのことに我々は責任がないのだろうか?

率直に言って、ある、としか言いようがない。特に曲がりなりにも先進国に生きている者には。

ある、とは思うが何もしない。どうすれば良いのか、全くもってお恥ずかしい話だが、私には分からない。しかしこの映画の義理の息子のように「地球は火の玉みたいになっちまうんですよ。」と平然と言い放てる人間が多数を占めたら終わりだ、とも思う。答えは永遠に分からないかもしれないが、それでも探し求めなければならない。そうでなければ、あの狂った老人の方が幸福だったと思えるような事態が我々を見舞うかもしれないのだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (11 人)寒山拾得[*] シーチキン[*] 3819695[*] 煽尼采[*] TOMIMORI[*] カレルレン ペンクロフ 荒馬大介[*] ユキポン 太陽と戦慄[*] 水那岐[*]

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