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[コメント] 最後の忠臣蔵(2010/日)

これはものすごい映画になってしまったなあと思う。最初から曽根崎心中の人形浄瑠璃の世界である。忠臣蔵と曽根崎とを相似点にしつらえる。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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忠臣蔵でもこの映画では孫左と曽根崎。孫左の心中とは、、。孫左とは、討ち入り前夜に抜けてしまい、裏切り者の汚名を着せられていた下級武士である。

冒頭では寺坂話もあるが、彼の放浪旅も映画ではすでに最後になっていた。話的にはこちらの方が面白いと思うが映画では完全に孫左が主人公である。いや、孫左の心が主人公となっている。

彼は大石家の家臣であり、浅野家家臣の盟約に加わる資格はない。けれど大石への忠誠心は誰よりも強く、下級武家であるがゆえに逆に武士道にこだわっていた、と僕は思う。

孫左は大石の娘を託されたことを誰にも言えず、討ち入り後は卑怯者とののしられ、ただひっそりと主君の使命を守り可音を育てることに専念する。しかし、赤子の時から16年間育てるということは父親でもあり、でも血は通わないが近親相姦的な恋愛の対象でもあるのだ。それがこの映画のテーマである心中に導く。彼は最後切腹して果てたが、それは16年間の可音との思慕との心中といっていいのであろう。

この映画は赤穂浪士の話を知っているということを前提に成立している。だから可音の婚礼時に、寂しい花嫁行列が次々と浅野家の遺臣たちのたいまつで長い列になっていくシーンには思わず号泣してしまう。これだけは日本人の血なのか。何というか、武家の話とはいえ日本人の心の強い遠吠えを聞く思いがします。死にゆく人を思いやる気持ちは尊い、それは皆一緒なのではないでしょうか、、。

そして婚礼の席。16年も可音を育て上げたのに孫左は末席だ。これだけは家という現実は厳しい。浅野家から、大石家からするとそれは当然なのだ。しかしその席の主は不在だ。孫左はもはやこの世に未練はない。やっと死ぬことから自由に解放される。16年遅れたが、四十七士として死ぬことができる。下級武士とはいえ、浅野家とは関係なくとも、四十七士として死ねば上も下もない、、。

この映画の役所広司の演技はとにかくすごい。 役者としては完璧の演技。抑えの演技の連続で、特に婚礼でみんなが集まってくるとき、控えめに自分を目立たぬようにしている、あの嬉しそうでいて悲しく、また不安そうな眼を泳がせている演技はただただすごい。控えめだから光る。

そして最後の孫左を解放させる切腹シーンのリアル。この映画は役所広司の独り舞台ではなかろうか。それでいて作品全体に強い余韻が残る、この凝縮感はまさに日本映画の誉れだ。孫左の心を主役にしてこの映画は孤高の存在を示す。そしてこの映画を見られたことに日本人として本当に素直に喜びたいと思います。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)chokobo[*] ガリガリ博士

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