[コメント] ゼロの焦点(2009/日)
原作発表からすでにもう50年ほど過ぎて、テレビドラマ化、映画化も十分されつくし、今更なんら新味はない原作なのだが、そういえば最近はほとんど映像化されていなかったかなあ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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清張生誕100年記念作品ということだが、この作品の現代における意味合いを考えると少々疑問を禁じえない気がする。
今どきは珍しくない女子大生も当時ではハイカラなとびきり高等なお嬢様であります。その女性が時代をただ食わんがために生き、泥水まで飲むような生活をする、そのこと自体が当時としては社会的にも衝撃的なことなのだ、と今説明しても現代人にはチンプンカンプンなのではないか。
であるからにして、この映画は広末涼子と西島秀俊との稀有な純愛ものに帰結すればよかったのでないか、と思っている。あれだけの動機で連続殺人を行うには現代からの視点では厳しすぎるのである。また、一人の男が二重生活を送れる社会情勢も理解が難しいのではないか。あれもこれもすべて当時の時代性に負っている。
清張の推理小説のテーマは動機付けということである。どうしても中谷美紀に視点が移ってしまうのはやむを得ないが、主人公広末涼子が真相に辿り着く過程で本当の愛を確認する、という原作と同じ解釈のラストは僕はとても気に入った。
ただ殺伐とした展開から、この映画が唯一潤いを感じられ、また意外性をも感じたのは、7日間という短い新婚生活にも拘らず、意外やこの男女は本当の愛を育んでいたということに尽きるのではないか、と僕は思う。
これも当時の時代性を反映した清張の昭和ロマンチズムの残像である。やはり美しいと思う。
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