[コメント] ゾンビ(1978/米=伊)
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ある意味、あきれかえる程に豊かだ。何を語るにしろ、まずは話のとっかかりに困らない。それどころか、どこから語ればいいのかすら戸惑ってしまう、という種の豊かさ。その豊かさというのは、おそらくゾンビ、又は生ける屍というテクストそのものが持つ豊かさなのだろう。
ロメロ監督的には、当時のアメリカ社会に対する痛烈な皮肉として作り上げた作品なのかもしれない。かもしれないが、ゾンビというただ緩慢に動めくだけのものを描きながら、それを介して描けることをとにかく無心に盛り込んでいる。それはもう、詰め込み過ぎかと思う位に。
いかに「ゾンビ」が日常の風景に当たり前のように溶け込んでいるか、そして、想定外のトコロから襲い掛かられるまで、その身近さにいかに人々が麻痺しているか。ある時はそのようなことを思い、またある時は、まるで中世の流行り病のように、人智の全く及ばない不吉な存在に対して、人々がどれだけ空しい空論を繰り広げているかを思う。そして、ゾンビのユーモラスな姿に時折親近感すら覚える。覚えたところで、彼らが人間を映す「鏡」のような存在でもあることに気づいて、一瞬背筋が寒くなったり。そして刹那な乱痴気騒ぎとは裏腹に、やがて緩慢に侵食する静けさ。絶望的なまでの静けさ。
結局のトコロ、全てこれらは「死」。「死」は親しき隣人なのである。逃れ得ない「死」が足元を皮膜一枚隔てた地の下に、いつでも口を開けて横たわっているその現状。与えられた少ない燃料で、それでも続くところまで走り続けなければいけないのである。そして、そのことに自覚的である上でしか、本当の希望というのは存在しないのだろうか。まだ自分にはよく分からないです正直(つーか言っててよく分からなくなってきた)。
まあでも、キッチリ一本の映画として体裁が纏まっているかと言えば、むしろイビツな印象を受けたりもする。前置き全くナシに始まる冒頭から、普通にいけば「実はそもそもその数週間前・・・」みたいな回想がしばらく続いて、再度冒頭部分に戻って意外なクライマックス、というのがこのテの常套のような気がするが、そんな思惑全く構わずいきなりヘリで逃避行。これはかなりアメリカ全土サイズの壮大なスケールで描くのかと思いきや、いきなり地方のスーパーに篭城かよ、と。その覆され感がまた面白いのだけど。ともあれ、半端じゃないアイディアの詰込み方には、あらためて敬服した。ゾンビの見せ方も単調なように思えて、ある時は影で描いてみたり、またある時は動かないはずのものに紛れ込ませてみたりと、実は結構小技を利かせていたり。
ともあれ今回再見して思ったのは、当時のアメリカ社会を反映したといいながらも、元々その圏外の人間でもあるワケだし、さらにはその世相から30年近く経過した今現在、離れたトコロに立つことで、この映画のより普遍的な姿が露になってきたような気がします。少なくとも個人的には、そんな印象の再会でした。
(2006/8/16 再見)
追記:ちなみに10代の頃に観た時は、ゾンビがブライアン・フェリーにしか見えませんでした。
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