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[コメント] ムーンライト(2016/米)

私の見方は少し違う。(レビューは、超長めになってしまいました)
プロキオン14

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を、「ゲイ的」な作品として語られる事が多いようだが、私の見方は少し違う。

私は小学校の頃は、ひどいイジメられっ子だった。その頃は毎日学校へ行くのが嫌で嫌でたまらなかった。教科書を破かれたり、靴を隠されたり、傘を川に捨てられたり、一生ものの怪我もした。

そういえば、「おかま呼ばわり」もされた。それは「なよなよ」してるように見られたからだろうか?ただこの映画を語る時に、おかま呼ばわりと、その後のケヴィンへの恋慕をワンセットにされている事が多いが、やめてほしい。

そんな孤独な少年にとって、一緒にいてくれる友達は、涙が出るぐらい大切だ。味方のいない、視野も狭くなった少年にとって、その友達は眩しい存在。時には、目が眩むほど全肯定してしまうので、痛い目にあう事もある。この映画に例えれば、シャロンが「月」なら、ケヴィンは「太陽」だ。その例えならフアンは「地球」だ。シャロンがフアンに求めたのは、当たり前の父性だろう。「弱い者」は、「強くなりたい」のではなく、「普通でありたい」と思う者もいる。第1話のリトルは、そうであったと私は思う。

第2話シャロンになると、少し違ってくる。16才、思春期だ。しかし依然としてシャロンは孤独なままだ。そばにはケヴィンしかいない。ちょっと1話からの移行が唐突で、不自然さはあったが、お構い無く話は進む。

さっき「恋慕」という言葉を使ったけど、「慕う」気持ちはとても理解できる。でも、もしこの時期に、シャロンが同世代の少女と親しくなる機会があったなら、叶う叶わないは別にして、恋の一つもしたのではないか?と思う。ケヴィンへの気持ちはそれとは別だが。ケヴィンを「慕う」「寄り添う」「あこがれる」うちに、あの月の浜辺で、気持ちが近づく。そして口づけ、手淫。シャロンにとって、ケヴィンは特別な存在になった。ただここで一つ疑問が。ケヴィン→シャロンは、どういう位置付けだったのだろう。

シャロンにとってOnly one だが、ケヴィンにはOne of them 。月夜の事も、ケヴィンにとっては「いたずら、悪ふざけ」に感じた。

そして事件。私は何度も予告編でみた殴られるシーンよりも、そのあとの椅子でぶん殴った場面に驚いた。堪えて、堪えて、我慢してきたものが、破裂したみたいだ。始めて能動的になった瞬間。そして連行される時の、ケヴィンを見つめるまなざしは、睨んでいたのか、恨んでいたのか、あるいは、というところで時は流れる。

第3話ブラック、2話の時以上に唐突だし、顔つきも体つきも「誰?」。いったい何歳の設定だろうか?三十代中盤ぐらいの見た目だし、母親の加齢を見てもそのくらいだろうか。三世代ともシャロンはアフリカ、カリブ系だが、ケヴィンは中東か、南米系に見える。シャロンの姿はフアンを目指したのだろうか。

突然の電話。ケヴィンにとっては、この年月を埋めるものは「罪悪感」だったと思う。一方、シャロンの側は複雑だ。母親と含めて「赦し」だった気もするが、表明的な言葉で表されることだけではないだろう。

再会後、映画として、ケヴィンに元妻や子供の話をさせる。あの月夜の事から距離を置くように聞こえたのは、穿った見方だろうか。でもシャロンにとっては「触れたのは君だけ」と告白する。

そしてラストシーン。裸で寄り添い、目を閉じるシャロン。その横でケヴィンのまなざしは、シャロンと同じ気持ちではない気がするのだが、観るものの想像に委ねられる。それを罪悪感からのシャロンの気持ちに応えたと感じるのは、不自然であろうか?

このラストは、店の中、部屋の中、ではなく、月の浜辺でもよかったのでは?と思う。

(評価:★4)

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