[コメント] じゃりン子チエ(1981/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
当時アニメ映画は一段下に見られることが多く、「監修」の名目で実写畑の有名監督が名前を貸すことが多かった。しかし高畑勲は自分の名義で単独公開にこぎ着けることができ、更に脚本の藤本義一を蹴って自分でストーリーボードを書き直すこととなったらしい。
結果として高畑監督はいろんな雑音をはねのけ、自分の作りたいように作ることができた。
実際本作がプロの脚本家が書いていない事は、通して観ると分かる。
なんせ本作にはストーリー的な一貫性がない。ミニストーリーを貼り合わせて一本の映画にした感じであり、クライマックスに向けて盛り上げるという手法を敢えて採っていない。一本の映画と言うよりは連作短編に近い感じである。
だけどそれこそが高畑監督の本当にやりたい事だったのだろう。庶民を描く作品なのだから、物語にそんなに起伏は必要ではない。ストーリーの起伏を敢えて使わないようにいたお陰で何気ない風景の連続で充分映画に出来ている。
この考えは基本的に高畑監督の一貫した思いだろう。『パンダ・コパンダ』から『ホーホケキョ となりの山田くん』まで。庶民的なドメスティックな視点から何気ない日常を描こうとしていた。それこそが監督の思いだったのだろう。
監督が全てをきちんとコントロールし、思い通りのアニメ映画を作った。多分本作こそがアニメ映画史における一大転換点だったのだろう。
だが、それは理解しているが、ちょっと評価点数は上がりきらない。
映画単体として、確かに出来は良かった。しかし監督の狙いだったドメスティックな視点で作られるミニエピソードの繰り返しという素材はテレビでこそ最も輝く。
事実この直後にテレビ版が作られることになったが、そこでのエピソードがとてもこなれていて、そっちの方がしっくりくる。
事実私は本作はテレビ版の方を先に観てしまっていたので、劇場版の本作を観た際はテレビ版との違和感ばかり目が行き、素直に楽しめなかった。
本作を先に観ていれば感想は別だったんだろうけど、先入観を覆すことは出来なかった。
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