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[コメント] さらば、わが愛 覇王別姫(1993/香港)

あっけなく蹂躙されてしまうからこそ、残す文化と言うものもある。それにしても、美しい。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 20世紀は世界規模で様々な価値観が一気に変わり、国の形そのものも変わっていったが、その中でも中国の変容の仕方は極端だった。

 諸外国からの植民地とされ、それでも清王朝の影響が未だに強かった時代。日本軍の進駐により、外国に支配されていることを印象づけられた時代。抗日戦線を共に戦った国民党軍と共産党軍との泥沼の戦い。勝利を得た共産党による数々の支離滅裂な命令の果ての文化大革命。そしてようやく安定したのは1970年代も後半になってから(一応1989年の天安門事件もあるけど、ここでは描かれず)。

 この時代を通し、何が大きく変わったか。それは価値観である。清王朝は中華至上主義というのがあったので、伝統というのは大変重要なものとなっており、昔の価値観をなるだけ変えないように保存していくことが重要になっていた。本作品の冒頭で描かれる京劇の訓練風景はまさにそのまま。伝統を守るため、そしてずーっと続けられてきた同じ方法を用いて教え込む。現代では到底考えられない非情な価値観がそこにはあった。芸を完成させるまでは、芸人には人権がない。そもそも人権などと言う考えそのものが無かった。あの訓練は、何人かは必ず死ぬことを前提としてないと出来ない。半端者よりも芸の方が重要なのだから。そして一旦芸を確立し、登り詰めると(ここまで行く人間は本当に一握りだろうけど)、上にも下にも置かれない扱いを受けるようになる。だからこそ、その栄光のトップスターを目指し、彼らは血を流して努力する。

 だがこれが日本軍が入ってきた辺りから事情が変わってくる。既に中華思想から脱却し、近代合理主義を受け入れた日本軍は自国はともかく異国の伝統芸能を重要視はしていない(やや語弊があるかも知れないが、外国から攻めてきたのだから、当然と言えば当然)。伝統を分からぬ輩に対して芸術は無力だった。ただ、この時日本は中国そのものを潰そうとしていたわけではなかったし、支配している訳でもなかった(そう言う風に言う人もいるけど、実質的に日本が「支配」したのはほんの一部の地域に過ぎない)。故に伝統を破壊しようと言うところまでは至らず、芸術としての京劇も命脈を保つことが出来た。それに戦後は当然の如く引き揚げてしまった。

 そしてその後に来るのが、いわゆる国共紛争と呼ばれる泥沼の内戦。とても娯楽に金をかけるような状態ではなくなってしまう。折角日本軍が出ていってしまったのに、結果的に京劇はこの時代、戦時中よりも更に細々と生きながらえるしかなかった。劇中では程蝶衣が阿片漬けになっていた時代。

 そして戦いに勝ったのは共産党の方だった。国民党側は、それでも伝統というものを多少大切にする傾向があったが、共産党になると、「旧来の伝統は悪」と言うのがスローガンの中にあるので、古い伝統を代表する京劇はあまり好まれないようになった。それでも最初の内はそれなりに敬意をもたれていたようだが、むしろ共産党指導者は、人民の啓蒙のために虐げられた人民が立ち上がると言った内容の現代劇の方を好むようになる。それまでの血のにじむような努力は放棄され、若者が新しい解釈で京劇を演じることも多くなる。

 そして劇中最後に来るのが文化大革命。改革が遅々として進まぬ事に業を煮やした共産党指導者の毛沢東が、紅衛兵と呼ばれる、一種の親衛隊を組織させ、年端もいかぬ若者達に旧来の伝統を踏みにじらせた。革命を一気に進めるための、一種のカンフル剤として考えたのだろうが、この時の人民の悲惨さは戦争時代より酷かったという。京劇にとってもこれが一番の危機だったのかも知れない。10代のこども達が大人を引きずり回し、反省をさせる。そして密告させて次々と大人をやり玉に挙げていた時代だ。有名な人物であればあるほど、この攻撃は仮借無いものだった。本編ではほんの僅か触れられているだけだけど、実際には日をおいて何度も何度もああ言ったさらし者にさせ、暴力を振るわれる事が行われていた。カイコー監督、多分これが一番描きたかったんだろうな。ここで菊仙の自殺も、夫に裏切られた事よりも、繰り返し与えられる暴力的な陵辱に耐えられなくなったからなんじゃないだろうか?(これは解釈の一つとして考えて欲しい)

 そして文化大革命を押し進めた指導者(毛沢東や四人組と呼ばれる指導者達)が表舞台から去って、ようやく中国も平和になってきた(指導部によると、現在も革命の最中だそうだから、又いかなる時にとんでもないことが起きるとも限らないが)。

 いささか乱暴且ついい加減に20世紀の中国の歴史というものを挙げてみたが、その辺の歴史が分かると、本作の物語の意味というのも分かってくる(興味ある人は調べて見るも良かろう。それでなんてこいつはいい加減なことを言ってるのかと笑ってくれ)。

 逆に言えば、本作は『ラストエンペラー』(1987)と並び、格好の歴史の勉強の素材とも言える。なにせ外国人ではない、本当に国内の監督によって撮られているのだから、その切実の度合いも違う。迫力ある作品に仕上がってる。

 尚、カイコー(陳凱歌)監督は中国映画界でも第五世代(少年時代に文化大革命を経験し、終結後に映画界に入った世代)に属する人で、この時代の映画人は文化大革命を一つの試練として捉えているのが特徴なのだそうだ。

(評価:★4)

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