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[コメント] 自転車泥棒(1948/伊)

時代背景は当時の日本とイタリアはよく似てますが、当時は映画の方向性も似てたように思えます。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 いわゆるイタリアン・ネオ・リアリスモの代表作。貧しい家族の生活を暖かい目で見守る作品で、生活の厳しさと悲惨さを出しておきながら、それが決して本当に悲惨なだけで終わらないところが本作の最大特徴であり、それが本作を傑作たらしめている部分と言えよう。

 本作が製作されたのは1948年。日本では小津安二郎の『風の中の牝鶏』および黒澤明の『酔いどれ天使』が公開された年である。イタリアも日本も敗戦国として(イタリアの事情はもうちょっと複雑で、大戦末期は連合国側として戦っているため戦勝国でもあるんだが)、戦後の復興期に当たる時代だが、この復興期というのが経済格差が最もよく出てくる時代でもある。

 目端が利き、巧く立ち回れるものはどんどん富んでいくが、国民の大多数はいくら真面目に働いても、食うのがやっと。それどころか仕事さえないと言う状況に置かれる。貧富の差が大変激しい時代であり、同時に先の大戦の様々な負債を抱え込んでいる時代だった。町並みは荒れ果て、人の心もすさむ。貧乏な人間はますます貧乏になっていき、モラルも低下する。

 これは悪いことだけではない。復興に至る過程だと言うことだって出来るのだ。現に日本で荒れイタリアであれ、ドイツであれ、第二次世界大戦の敗戦国はそれらの過程を経て経済復興を成し遂げた。一種この状態は必要だった事が、後代から観る私たちには分かっている。

 だが、勿論これは現代という時代から私が観ているからこのような事が言えるだけの話で、その当時に生きていた人間にとっては、実際シャレにならない状況に合ったわけだが。

 それで、そのシャレにならない時代に、映画はどう作られていったか。本作はその良い例となっているだろう。

 夢物語ではない。実際直面している辛い現実というものを、淡々と、しかし暗くなりすぎず、どことなくユーモラスに描く。日本でもイタリアでも現代まで残る良作の多くは、こういった形を取っている。

 現実に即し、そこで暗くなりすぎずに、映画館を出る時はちょっと気分良く出られる。映画の持つ魅力の一つだが、このような状況にあっては、本作のような作りが一番それに見合っているのかも知れない。

 それで本作は、そのような時代背景における親子の関係を描いているが、何をやっても上手く行かず、それでも家族に対する責任感はしっかりある父のアントニオと、そんな父をこどもなりの倫理観で見つめているブルーノの微妙な関係が見事。

 親というのは子供に対し、親でありたいが為に尊大な態度に出る。しかし、肝心の自分自身があまりに情けない状況に置かれているため、子供に対しても、それほど大きな態度に出られず、むしろ子供に今の自分を観られていることを恥ずかしく思いつつ、それでもなんとか誇りを持とうとする父の姿。そしてそんな父の姿を見ながら、それでも健気に付いていこうとする子供の姿。彼は自分の周りで何が起こっているのかも、正確には把握していないだろう。だけど、自分のなすべき事だけは分かっている。父には、自分が必要なのだと。だから一生懸命に父の後を追う。これが何とも言えない寂しさと共に、ほのぼのした暖かさとなって、観ているこちらまでなんか暖かい気分にさせてくれる。

 思えばチャップリンの『キッド』(1921)もその系統だけど、こちらの方がリアリズムと時代には即している事から、コミカル性を廃しても充分にその暖かい思いが伝わってくるようだ(どちらかというと小津監督の『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(1932)の方が近いか?)。

 見事な好演ぶりを見せた父子だったが、実は二人ともプロの役者で無いというのが面白い。父を演じたマジョラーニはローマの電気工で、子役のスタヨーラも監督が街で見つけてきた少年だとのこと。素人臭さまでをもコントロールしてる監督の凄さと言っても良い。

 ちなみにこの作品の助監督の中には後に『荒野の用心棒』(1964)を撮り、マカロニ・ウエスタンを作り上げたセルジオ=レオーネがいる。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

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