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[コメント] バリー・リンドン(1975/米)

使い古された言葉しか出ませんが、やっぱり「美しい」と言ってしまいます。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ウィリアム=メイクピース=サッカレーのピカレスク小説の映画化で、一人の人間が味わった数奇な運命を描いた作品。撮影の上手さは折り紙付きで、この年のアカデミー技術部門を全てさらってしまった。

 これは極めてレビューのしにくい作品だ。面白い部分は多数あるのだが、それを説明するのはかなり困難な上に、作品そのものが長い上に主人公バリーの行動が状況に翻弄されるだけで一貫性がなく、観ていても物語にのめりこむと言った内容ではない。それに主人公バリー役のオニールの演技がオーバー気味。ちょっと引く内容であるのは確かである。なんでキューブリックがこんなのを?とは思わせるのだが、しかしそれでもしっかり映画として観させてくれるのは、やはり演出の凄さだろう。

 とにかくこの作品は美しい。画面一つ一つがまるで芸術品のよう。特に白色の演出がこれほど見事に映えた作品はない。それこそドレスの白さや、化粧を施した顔の白さ、城の内部が持つ持つ無機的な白さ…それらを統括して、これらは“光の白さ”と言うこともできよう。特にキューブリックがこだわりにこだわったと言う光の演出は突出してる。有名な話だが、この作品の夜の撮影では照明を使わず、NASAが月面探査に用いたドイツのツァイス社の特性レンズを使用し、ロウソクの光だけで人物を撮影したという。それだけでなく、木もれ日までも演出している昼間の撮影を推したい。こんなに明るい中でこんなに残酷なことが行われている。世界はこんなに美しいのに、人間の行いはなんて醜く愚かなのか…もうそれだけでもこの作品は声を大にして「素晴らしい!」と言ってしまえるほど。

 そう考えてみると、オーバーなオニールの演技も、人間の愚かさを演出しようとして。と思えてくるから面白い。あるいはキューブリックはそれを狙ったのかも知れない。そもそもオニールは演技下手で知られ、オニール自身はこれで本格的な演技派に転向しようと言う狙いがあったらしい。尤も、彼の願いとは異なり、オニールの出演した映画の中でも最もヘタクソな作品と言われるようになってしまったのが皮肉な話だ(後に、この演技下手こそが実はドキュメンタリータッチを構成する要素とまで言われるようになるのだが)。これまでのキューブリック作品とはまるで毛色が違っていたが、人間の存在の小ささや、空虚感の演出は見事な出来と言ってしまえるだろう。

 この作品のレビューを閉じるに当たり、映画評論家ドナルド=リチーによる、最も説得力のある言葉を紹介しておこう。「この映画はつまらない。しかし、それこそがこの作品を理解する大きなヒントだ」。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] ina TOMIMORI[*]

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