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[コメント] 果しなき欲望(1958/日)

今村監督が「今平監督」と言われるようになった、記念すべき作品。ただし先に「鬼の」と付きますが。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 欲に目が眩んだ男女の欲望そのものを描いた作品で、強烈な風刺性を持ったブラックジョーク作品に仕上げられる。欲望むき出しの人間はどれだけ一生懸命になっても、否、一生懸命になればなるほど滑稽になるというのはまさに今村監督お得意の素材かと思われるが、実際には監督の“重喜劇”と呼ばれる一連の作品は本作から始まるのであり、この作品から今村監督のペースが作られていったのだという…ついでに言うなら、汚水垂れ流しの川に何度も渡辺美佐子を突き落とすため、「鬼の今平」のニックネームが付けられるようになったのも本作から。

 地下に安置されているお宝を得るためにトンネルを掘るというのは、それこそ古典的シチュエーションで(でも本作の場合はトンネル掘りの傑作『大脱走』(1963)作られる前だが)、今でこそ使い古された感があるが、このシチュエーションの醍醐味は、遅々として進まない穴掘りの前に、どんどん人間関係が変化していくという所にある。そこに事情を知らない人間が感化されて、だんだんみんなおかしくなっていく。話自体は極めてシンプルながら、男女それぞれが欲望をむき出しにしてぶつかっていくので、話は一筋縄ではいかない。そこで登場するのが第三者であるはずの悟なのだが、それが若さか、すっかり周囲に感化されてしまい、明確な対象のないまま欲望だけを剥き出しにしていくようになる。  本来視聴者の立ち位置であるはずの悟までがおかしくなった結果、物語は暴走し、もの凄いパワーを持ったまま疾走していく。裏切りは当たり前。あっけなく仲間は殺されていくわ、たとえ人殺しをしても大儲けの考えの前にそんなものはあっけなく霧散していくわ…映画そのものの持つパワーに圧倒されっぱなしだった。

 カメラワークも実験的な手法が多用されていたが、これが画面の不安定感を増し、暴走感を増している。

 当時の今村監督作品の常連である長門裕之が爽やか(?)ぶりを披露しているが、本作は渡辺美佐子の怪演ぶりを特筆すべきだろう。他の作品では見ることの出来ない妖艶ぶりは、今村監督の鬼の如き指導の賜物だとも言える。

 正直、これだったら最高点をあげても良い作品なのだが、ただいただけないのがラスト。全て水に流しておしまい。では盛り上がった気分に収まりがつかない。同じ終わらせ方をするにしても、もうちょっと工夫してくれれば良かったのだけど。そこがちょっと残念。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ひゅうちゃん[*] 死ぬまでシネマ[*]

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