[コメント] 美女と野獣(1946/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
映画も数を見ていると、監督のカラーによって自分と相性のいい監督と悪い監督というのが見えてくるものなのだが、コクトーとの相性の良さは本当にぴったり。私の大好きな監督の一人である。
こう言って良ければ、この監督の作品は“詩的なグロテスクさ”に溢れた作風で、単なる映像表現を越えた深いものを感じることが出来る。何よりカメラ・ワークの素晴らしさは、もう溜息が出るほど。
そりゃ話自体はよく理解できない部分があるとか、何のためにこんな所にこんなものを出すのか?とか、妙に同性愛的傾向が強いとか、色々あるが(我ながら無茶苦茶言ってるな)、それらをひっくるめ、なんかとても心地が良い。何にせよ、大好きな監督には違いない。
それで本作は、非常に耽美性の高い作品に仕上がっており(と言うか、監督の作品はみんなそうだが)、その中でぬめぬめと動き回る人間群像がたいへん興味深い。
実際、ここで登場する人間はみんなまるで軟体動物のようで、現実感がたいへん希薄である。むしろ強烈な現実感を持つのは人間ではなく野獣の方。彼は自分が人間の心を持つその瞬間だけしかベルの前に出ることが出来ず、そのことに苦悩し続ける。一見化け物のような暴君に見える野獣こそが、この登場人物達の中で最も生っぽい、というか人間っぽい描写がなされているのが大変面白いところ。特に水を飲む際、腹這いになって水を舐める描写が凄い。本編にこれだけ食事シーンが出ているのに、実際にものを食べて見えるのはその瞬間だけ。他の生身の人間がみんな現実感のない本作の中で、唯一人間らしい存在だった。登場人物の中で彼ほど苦悩している存在はない。野獣の姿を持っていながら、最も人間らしい存在として描かれている。果たしてそれが狙いだったのかどうかは分からないが、それが見事な対比を作り出しているのは確かだ。
それと、生きてる城の描写が何とも凄いところ。彫刻や燭台といった一つ一つがゆるゆると動いていて、別世界さを感じさせられる。映画とは、リアリティだけが重要なのではない。いかにして表現するのかが大切か。この作品はそれを端的に示しているのではないだろうか?
ところでコクトー監督はこの映画の製作当時、ドイツ協力者の嫌疑を受けていたらしく、その恨みも込めてクレジットでの自分自身の名前の下にダビデの星を書いたのだが、冒頭でこんな事も書いている。「世界は今、あらゆるものを破壊し去ろうと熱中しているが、おとぎ話が天国へ寝そべったまま連れて行ってくれた、あの少年時代の信頼感と素直さを取り戻したい」。現代も尚、同じ台詞が有効だ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。