コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] スリー・ビルボード(2017/米=英)

人を赦すことは決して偽善ではないことをはっきり示した。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 移民で構成されるアメリカの中にあって、ハリウッドはほとんど全ての時代を通してレイシズムと戦い続けてきたし、その他様々な差別問題についても俎上に上げられてきた。恐らくはこれからもずっとその戦いは続くだろう。

 そこで問題とされるのが偽善性というやつ。主題が良くても、道徳性を高めた結果、いかにも教科書的なものになってしまったり、一方的に社会的強者が弱者に手をさしのべるというものになってしまったりする。

 それを避けるためか、本作は差別する側とされる側の境界をかなり曖昧にして、どちらにもなり得る人間性を突き詰めていく。

 主人公となるミルドレッドは、娘を失って、その犯人も捕まえられないと言う事で被差別側に立つはずなのだが、話の中で、実は彼女も又これまで散々差別的な行いをしてきたことや、犯人を捜す過程で多くの人たちを踏み台にしている。

 一方、もう一人の主人公とも言えるのがジェイソン・ディクソン巡査。彼は最初からレイシストとして登場し、差別的言動を繰り返すのだが、彼が差別的なのは結局人生何もかも上手くいかず、性的マイノリティにある自分を強く見せようとしてのことだとわかる。

 この二人だけでなく、登場人物は誰しも多かれ少なかれ被差別者でありつつ差別者でもあるという側面を持っている。

 それは人間誰しもが持つ感情であるとして、否定をしてないところが本作の特徴とも言えるだろう。

 その前提の上で、人はどう生きるべきなのかということを示す。

 それが何かと言えば、“赦すこと”と言って良かろう。

 赦すとは又偽善的な言葉だとも思えるのだが、何故人を赦さねばならないのかというと、そうしないと人は復讐だけに留まって、憎む以外の感情を持つ事が出来なくなる。死ぬまで憎みだけで生きていくのか?と問いかけられている。

 実際ミルドレッドは、自分の行いによって警察署長のウィロビーを自殺に追い込んでしまったことを後悔するシーンがあるし、警察署を燃やした後で、本当に自分に嫌悪感を持ってるようなシーンもある。復讐に駆られて行き着くところまで行くと、どれだけ虚しいかを知ってしまうのだ。対してジェイソンは自分が正義を行っていると信じて暴力沙汰を繰り返してきたが、いざ自分が被害者になった時に、自分が差別していた人から赦されることで、初めて赦すことの強さを体験する。

 すぐにそれが分かった訳では無く、その後も色々過ちを繰り返していくのだが、徐々にこれまでの自分を振り返ることが多くなっていき、いくつも赦していくことで、恨みや憎しみを抱きつつも、それでも新しい一歩を踏み出すことができるようになる。

 自分の人生を生きるためには、赦すことが第一歩である。本作の出した結論は、非常に普遍的な重要な意味合いを持っている。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)mal jollyjoker[*] けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。