[コメント] アポカリプト(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ギブソン監督と言えば、オスカー受賞作『ブレイブハート』を初めとして『パッション』もあり、歴史大作監督として見られている(監督作ではないが『パトリオット』もあり)。
本作も又、南米を舞台として、スペイン人によるアメリカ大陸発見を題材にしているので、やはり歴史を題材に取った作品であることは確か。
だが、これまでのギブソン監督作品と比べると本作はずいぶん毛色が違う。
なんせ全く文献のない、ヨーロッパ人上陸以前の南米が舞台だし、歴史上全くの無名と言うか、実在しない人を描いているので、最初から最後まで丸ごと想像で作ってるし、内容で言っても純粋な(つまり単純な)アクション作になってしまっている。
本作を単純なアクション作品として観る場合、舞台や人物などなにもかも異色ではあるが見所は多いし、質も決して低くない。最大の見所である主人公の逃亡のシナリオは、あたかも現代に甦った(?)『ランボー』あたりを彷彿とさせるものだったし、撮影技術の向上に伴い、アクション作品としての質も高い。だから、アクション映画を観ると言う意味だけで考えるなら、本作はかなり面白い部類に入ると思う。
しかし、一体又なんでこんな南米なんかを舞台に、しかもヨーロッパ人によるアメリカ大陸発見直前?大体最後に船が見えるだけでヨーロッパ人とは一切接触を持ってない。そんな特殊なシチュエーションにする必要性ってどこにあったんだ?特にあの物議を醸した『パッション』の次回作にこれを作る必然性はどこにあったのか? 本作観たときはその辺納得いかなかったものだが、このレビュー書いているうちに少し整理ができつつある。間違っていること前提で自分なりに考えたことを以下に書いてみたい。
これまでギブソンが手がけた作品の舞台を見てみると、『ブレイブハート』が中世イギリス、『パトリオット』が独立戦争時代の北米、『パッション』が紀元後のイスラエル、そして本作が大陸発見直後の南米。と、舞台は様々。
しかしこれら全ての作品を通じて描かれているのは全てアメリカ人の精神的基盤に根ざしているように思えてくる(一般的、物理的な意味ではない)。
例えば『ブレイブハート』で連呼されていた台詞は”freedom”だった。自由というキーワードはそれこそハリウッドが一貫して映画で描こうとしたものであり、それをアメリカ人の思考の根底を成すものとしてのキーワードでもある。「パトリオット」もその延長上にあり、”independent”「独立」のための戦いを描こうとしてきた。『パッション』についてはアメリカの根本的基盤であるキリスト教精神を描こうとしたものにほかならない。そう(勝手に)考えてみると、これまでの監督作品は全てアメリカ人の精神のあり方について描こうとしてきたように思える。
しかるに本作の立ち位置は?
それを考えてみると、これこそアメリカという国の原点とは何か?と言うことを考えた結果ではなかろうか?アメリカと言う国を作る際、先にあった文明を滅ぼし、そこに新しい価値観を築いた。極端につっこんでは描いていないが、そこにはヨーロッパ人が知らない歴史と文明があったのだ。と言う側面と、こうした野蛮な文明が教化されるに至るところ。と言う側面と、どちらにも取れるが、いずれにせよ、その責任を問うと言う部分がある。今まで考えてこられなかったアメリカという国の姿がここにはある。それを見せたかったのかもしれない。
これまで描いてきたアメリカ人の精神的側面「自由」「独立」「敬虔」に「征服」を取り入れることで、更なるアメリカ人描写を強化しようと図ったかのようにも思えてしまう。勝手な考えだけど。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。