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[コメント] 赤ひげ(1965/日)

凄まじき“狂気”の演出!(それにしてもコメントを書くという事の難しさよ)
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 黒澤明と言う監督についてはどれ程褒めても褒めすぎってことは無いと思う(特に初期はね)。映画全体を俯瞰して観たとしても、又細かい場面場面を観ても、必ず唸らせられる。絶妙のカメラ・ワークと演出方法、そして所々に見せるウィットさ。個々の役者の生き生きとした表情。何を取っても、よくぞここまでやったものだ。と思わせられる。

 映画の持つ限界をはっきり分かった上で、それを超える何かを常に求めていた(しかも観客に分かるような方法で)姿勢こそが、監督の作品を傑作たらしめているのだと思う。

 一体監督は全作品を通して何を目指していたのだろうか?と、これを観ながらふと思った。

 それで誠に勝手ながら、私なりの考えを述べさせてもらうと、監督はいかにして人の内面をカメラに収めるか。と言う点にこだわりを持っていたような気がする。

 これは何も監督に限っての事では無かろう。多かれ少なかれ、映画というのは人の内面をいかに表現するかを追い求めるものだ。そしてその方法はいくつか確立されている。思いつくまま挙げさせてもらうと、一番簡単なのは表情のアップを撮る方法。役者次第ではあるけど、観る者を納得させられる演技力があればいい。仕草で思いを表現する方法もよく使われる。これは正統な方法だが、もうちょっと複雑にすると、モノローグを入れる方法、あるいは日記などを朗読させる方法もある。これらはテレビなどでも良く用いられる方法で、最も簡単且つ効果的な方法だ。内面世界を映像化してしまうと言うのもある。ビデオ・トリップみたいな不思議な映像になってしまう事もあるけど(そう言う意味で傑作となった作品も多い)、これも直接意識下を直接表現できる。あるいは様々なオブジェの配置によって表現する方法もあるだろう。この場合は一般的とは言えなくなるけど。

 監督もこれらの方法は良く使っているし、監督の映画によってそう言う表現方法が確立された部分もあるだろう。『姿三四郎』での蓮の花とか、『生きる』の志村喬の浮かれつつ寂しそうな顔アップ、『椿三十郎』の息詰まる対峙シーン、『生きものの記録』でのどんどん老けていくメイク、『羅生門』での草をかき分けて歩むその行程、そして『』での摩訶不思議な光景。それらは心象風景として観る者の心に響いてくる)。

 それで本作ではどのようにそれを表現したのか。

 私なりに本作では“狂気”という点に結実したのではないかと思う。

 特に前半部分の山場とも言える香川京子加山雄三扮する保本との対峙シーンは恐ろしいほどだった。最初まともに見えた女性が切々と訴えるように身の上話を続けていき、保本に抱きついたと見るや、急に声のトーンが変わり、憑かれたような話しぶりに変わっていく。何よりその時の目が凄まじい。本気でぞくっときた。

 それに後半の中心となる少女おとよ(二木てるみ)の変遷の過程。最初は心を病んでいた少女が保本と赤ひげの献身的な振る舞いに徐々に心を開いていく過程。最初に見せた彼女のギラギラするかのような目つきが容貌に与えた狂気の表情と、保本に嫉妬して顔を伏せる表情の明らかな違い(最初の狂気の演技の時は、しっかりカメラに顔を向けていたのに、保本に嫉妬して同じようなことをしていたときは終始顔をうつむけ、目を見せようとしなかった)。メイクも含め、容貌そのものが変化したかのようなイメージを残してくれた。

 尚、これはただ演技だけではなく、キャッチ・ライトという手法により、目に光を当て、それをカメラに収めるという方法を用いているそうだ。光彩ではなく、白目部分に光を当てる事によって、狂気を演出したとか。光さえも人の内面を映し出す小道具として使うとは。本当に見事だった。

 この二つの“狂気”の演技。それに完全に心奪われてしまった。だから、私はこの映画を決して人情噺にくくる事が出来ない。黒沢監督自身がこの映画は「観客が見たいものを作ろう」と語っていたそうだが、それでも尚こう言う特別な楽しみ方が出来るのが黒沢映画の素晴らしさだ。今、ここで書いていても思うのだが、本当にこれ、人情噺だったんだろうか?

 勿論他のシーンに付いても文句なしに素晴らしい。佐八(山崎努)とおなか(桑野みゆき)の悲恋話での雪や風鈴と言った小道具を用いての小憎い演出、地震の凄まじさの演出。恐らく後の『必殺!』シリーズに受け継がれただろう乱闘シーンの音の演出。ラストの照れてわざとぶっきらぼうに歩く赤ひげに、さわやかな顔つきをしてついて行く保本(最初のシーンとの表情の違いが又素晴らしい)など、本当に練り込まれたシーンばかりだ。

 でもやっぱり“狂気”の演出シーンに囚われすぎだな、私は。今度観る時はもっと全体的に観てみるよう努力しよう。

 DVDの特典で、キャッチ・ライトについて、又その異様な目についての言及が長々となされていたので、なるほど。少なくとも間違った観方はしてないとほっとした(笑)。これも特典で当時助監督だった出目昌信のインタビューで、香川京子と加山雄三との対峙シーンの苦労話があった。キャッチ・ライトは役者の目の位置があらかじめはっきり分かってないといけないので、出目氏と、当時やはり助監督を務めていた大森健次郎があらかじめ全く同じ動作をしてライトの位置を調整したという。それで「口を吸うシーンがありましたね」というツッコミに、照れた笑いを見せ、「あの時はお互いに夕食には絶対餃子を食べないように打ち合わせてたね」と照れつつ言っていたのには笑わせてもらった。

 …

 …それにしてもコメントとは難しい。

 私の中に詰まっている、この映画について語りたい。と言う思いが、文字にした途端陳腐化してしまう。いくら長々コメントを書いていても、本当に表現したい事は全然書けてない気がする。歯がゆくてならない。

(評価:★5)

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