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[コメント] 天国と地獄(1963/日)

上から見下ろす視点と下から見上げる視点が交錯する。そしてその中間にいるのが…
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 黒澤監督にとっては『野良犬』(1949)に続いての刑事物作品で、『野良犬』とは又違った魅力に溢れた作品。

 黒澤監督の多くの映画に共通するのは、低いところからの目線がしっかりしているという点がある。低いというのは、時に社会的弱者であり、時に貧乏ものだったり。終戦直後だと敗戦を喫した日本そのものが弱者だった。それだけだと社会派映画になってしまうが、そこに高見から見下ろす人間を登場させ、更にそれを魅力的に描くことで、その対比を用いてドラマを作っている。『どん底』(1957)や『生きる』(1952)など、その対比がしっかり描かれていたし、それにエンターテイメント性を持たせた『七人の侍』(1954)は映画史に残る傑作となったのは当然とも言える。

 監督のあらゆる作品でこの上下の視点の対比が見られるのだが、時代が下って行くに従い、日本自体が豊かになっていき、そのテーマはだんだん受け入れられなくなっていく。多分本作が作られたここまでの時代までが、本当の意味での上下の対比が描けた時代なんだろう。しかも本作はストレートに視点の交差を描いていたし、題名からしても、まさにそのままと言った印象を受ける。

 恐らく本作こそが初期黒澤映画の集大成であったと思われる。

 この作品の視点の捉え方は面白い。先ずここには明確に「主人公」と呼べる存在が無いことに気づかされること。主人公は権藤でもあり、姿の見えない犯人でもあり、そしてそこで働く警察官一人一人でもある。グランド・ホテル形式の映画ではよく見られる構図なのだが、この作品はひと味違う。それを如実に示しているのが、彼ら一人一人の視線である。

 本作はしっかりと上から見下ろす形の視線と下から見上げる形の視線を明確に描いている。だが、本来下から見上げる担当であるべき肝心の犯人像が最後まで分からないのだ。これが面白い効果を生んだ。

 本来下からの視線を担当すべき犯人の目線が物語途中まで不在。よって、その犯人の視線を代弁する存在が必要となる。それが警察官一人一人の視線が担うことになる。彼らは本来は権藤側に立つべき存在であり、せいぜい中立を保つ立場でしかない。だが、犯人側の視線が封じられた時、相対的に彼らが見つめるのは権藤だけになってしまい、結果として上下の視線が構成されてしまう。丘の上に建つ権藤の屋敷を見て自嘲的に呟く「畜生」と呟く台詞こそが、彼らの視点が上ではなく、中間でもなく、下にあることをよく示している。

 そして物語が中盤から後半に移るに至り、今度は権堂が姿を消し、犯人と警察との対決へと(言ってしまえば普通の刑事ドラマに)移るのだが、ここでも視点の転換が行われている。それまで権堂と一緒にいることにより、下から見上げていた刑事達が、今度は雑踏の中に紛れて犯人の方向へ、つまり横から下方向を向くようになる。刑事達はそのどちらの視点も持っているのだが、対象が変わることにより、視点の転換も起こっている。この演出は見事なものだ。

 刑事達はどこにあっても異質な存在として捉えられる。彼らは言わばどこにあってもアウトサイダーであり、だからこそ、視点の転換にぴったりくるものであり、それに『野良犬』の時と違って複数の刑事達が活動することで、その曖昧さを更に強調していたとも言えるだろう。

 彼らは事件の当事者としてではなく、あくまでその解決を依頼されたプロフェッショナルとして描かれる。そこが重要なのだろう。『野良犬』の時のように、この事件は刑事自身の問題に関わってくることはない。逆にそれがリアリティを増していた。

 それと『どん底』で見られた密室のカメラ・ワークの凄さもこの作品では遺憾なく発揮されている。ショットの連続により、緊迫感を増している。同様の方法で有名なのは『十二人の怒れる男』(1957)だが、本作の撮り方はそれとは違って、実際に連続した撮影時間の中、複数のカメラを回すことによってそれを可能としている。これが黒澤監督のこの時代の撮影の特徴でもあるのだが、連続した短い時間での緊迫感を演出するには非常に良い方法。

 それと、自分の思った色が出ないと言うことからなかなかカラーに移行することがなかった黒澤監督が初めて使った色も、本作を特徴づけている。

 尚、公開後、実際に映画をまねた子供の誘拐事件が起きてしまうというおまけまで付いた。それだけ本作の出来が良かったと言うことだろう。

(評価:★4)

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