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[コメント] 情婦(1957/米)

本作に限っては、「読んでから観る」をお勧めしたいですね。原作を読んだ(あるいは舞台劇を観た)からこそ、分かる楽しみが詰まってます。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 最初この作品を調べて分かる。なんだ。クリスティの「検察側の証人」の映画化作品じゃないか。クリスティは大好きなので、当然この戯曲も読んでる。良い作品だった。

 ただ、一旦読んでしまった以上、「どんでん返し」は私には効かないぞ。そんな思いを持って本作品に挑戦。

 …負けた(笑)。

 まさかこんなに完成度が高いなんて。凄すぎるぞ、ワイルダー。

 原作付きの(しかも、有名な作品であるほど)映画化というのは難しいものだ。読んでいる人が多ければ多いほど、そしてそれが名作であるほど、観ている人間がそのストーリーを知っている確率は格段に高くなるし、名作と言われるほどの作品になると、イメージがすでに固まっている場合も多い。自然原作を読んだ人間は映画化作品の評価が辛くなりがち(私なんかは特にそうだ)。確かに原作のお陰で映画は売れるかも知れないが、その分監督には大きなプレッシャーがくる。小説のイメージをしっかり作るだけでも相当凄い監督だって事になるが(大作になればなるほどそれは難しくなる。トルストイの『アンナ・カレーニナ』の映画化がことごとく失敗してるのはそのせいだ)、更にそれにプラスアルファを入れないと本当に良い映画とは言えなくなる。そのプラスアルファを監督によっては原作の改竄という形で(例を挙げるとことごとくネタバレになるのでカット)、あるいは「この役にこんな有名俳優が!」的な売り方をする場合もあり…ってよりそっちの方が多いな(『ハンニバル』(2001)は物語よりホプキンスで売ってたようなもんだし、数えたらキリないだろう)。あるいは原作のイメージを大切にするため、原作者に脚本を書かせるってパターンもあり(『サイダーハウス・ルール』(1999)のアーヴィングや『ロリータ』(1962)のナボコフなど)…こう見ると原作付きの作品の売り方も結構あるもんだ。

 それで本作はマレーネ=ディードリッヒという超有名俳優を使っていて、彼女を売りに使っているのは確かにせよ、むしろ本作の中心となっているのは演出面。そこが一番素晴らしいところだ。それこそまさに直球勝負だ。原作には見られない魅力を演出力で作り上げていた。 

 原作は戯曲だから舞台劇として作られているし、場面の展開はあるにせよ法廷劇だから、メインは法廷のやりとりで終始する。しかし、本作は驚くほどに法廷の場面が少ないことに気づかされる。法廷で醸成された緊張感をロートン演じるロバーツとランチェスター演じる看護士プリムソルの丁々発止のやりとりが緩和し、しかもちゃんと彩りを添えている。お陰で全然退屈する暇がなかった。法廷劇で笑える映画なんてあんまり記憶にない(他には『いとこのビニー』(1992)くらいかな?)。むしろ肝心な法廷よりそっちの方に時間が取られてる位だ。そしてこの二人はそれだけの長さを飽きさせないだけの実力を持っていた(この映画でアカデミーの候補に挙がったのはクリスティーネ役のディードリッヒではなくランチェスターであったと言う事実がそれを物語っている)。

 で、肝心の法廷劇だが、欧米では数多く作られ秀作も多いが、日本では殆ど作られることがない。作られたとしてもかなり真面目な内容ばかりだ。この違いは陪審員制度にある。欧米の裁判は陪審員の一致によって刑が確定するようになっているので、冷静に見ればおかしな事でも裁判の雰囲気のお陰で時として屁理屈が押し通ってしまったり、被疑者に対して感情移入が起こってしまって。と言うパターンがあり得る。最も公正でなければならない裁判が一番人情劇を作られやすいと言う皮肉が法廷劇の発展を呼んだんだろう。

 それで陪審員制度はもう一つ面白い効果がある。肝心の論点をずらしていって、それを納得させてしまうことがあるのだ。

 本作の場合、クリスティーネのアリバイ証明が論点となる。本来それは「レナードが事件前に帰ってきたか」を証明するはずのものなのだが、ここで巧妙な罠が仕掛けられる。クリスティーネはそこでアリバイ不成立の時間を提示し、しかもレナードが殺人を告白したことをそこでぶち上げてしまう。ここで裁判の焦点は「クリスティーネの言ってることは本当かどうか」にすり替わってしまう。

 結果はクリスティーネ自身の演出によって、その告白が嘘であることが証明されるのだが、実はここでは「レナードが事件前に帰ってきたか」という論は決着が付いてない。クリスティーネの嘘によって「多分レナードは犯罪を犯してないんだろう」形へ陪審員の意識が持って行かれてしまう。実際の話、厳密に言うならこれは裁判になってないんだよ。それを完全にコントロールするところが原作者、クリスティの巧いところで、それを踏襲したワイルダーの持って行き方だ。

 そこでどんでん返しのラストか?と思わせたところでもう一つどんでん返しが待ってる。実はレナードは本当に殺人を犯してしまったと言う。身を挺してレナードを守ったのに裏切られ、怒ったクリスティーネによりレナードが刺殺される。これが二つ目のどんでん返しになる。

 原作はここで終わっていたのだが、映画はあとちょっと続いた。ロバートが最後に予定していた旅行を取りやめ、「これからクリスティーネのために戦わにゃ」。それに対し、プリムソルが「ブランデーをお忘れですよ」という。原作のあの救いようのないラストを見事に希望に変えてしまった。原作を読んだものだけがわかる、まさにこのシーンこそ、本当のどんでん返しだった。

 こいつは参った。完璧に脱帽。原作付きのハンディを乗り越え、よくぞここまで作ってくれたもんだ。

 後、この映画は小道具の使い方が巧い。裁判のシーンで手紙を使ったやりとりは有名だけど、それ以外にも片眼鏡を使った会談のシーンとか、「マッチはないのか?」「ありません。ライターなら」とか、ブランデー入りの魔法瓶をココアだと騙してしまうところとか(ラストでばれてたのが分かるのが心憎い演出だ)。そうそう。ディードリッヒのスラックス姿も小道具の一つだな(あれは脚を引き立たせているための演出だったらしく、回想シーンでスラックスを兵士に引き裂かせるというシーンをわざと挿入させたとか)。個人的にツボだったのは「マイアミなんかで大きな半ズボン姿を見たく無かろう」とか言っておいて、本当に巨大な半ズボンが届けられてしまうところ。ロートン&ランチェスターのやりとりがとにかく楽しかった。動きが少ないだけに会話に重点を置いたシナリオの勝利。

 大変失礼な言い方だが、ロートンって決して美男子って訳じゃない。だけどこの人ほど相手(特に女性)を引き立たせる役者もない。主人公は見事にはまっていたって事だ。又、あんまり目立たないけど、二面性を持ったレナード役を演じたパワーも巧い。冒頭とラストで全く人が違って見える。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)モモ★ラッチ[*] Myurakz[*]

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