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[コメント] ウンベルト・D(1952/伊)

自転車泥棒』と較べ、格段に町の生活レベルが上がっています。ネオ・リアリスモはこういった時代の変遷を見るにも適してますね。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 デ・シーカ監督自身による『自転車泥棒』(1948)と同じテーマで制作された、イタリアン・ネオ・リアリスモ作品。主人公ウンベルトを含め(この人はフィレンツェ大学教授とのこと)、登場人物の大部分は素人を使い、撮影もローマ市街そのものを使って撮影された。

 映画界に衝撃を与え、ネオ・リアリスモという言葉を世に広めた『自転車泥棒』から3年。新たにデ・シーカが同じ手法で作り上げた作品であるが、この2作を観比べてみると面白い。格段に映像技術が上がったと言うハード的なものもあるが、内容的にも街の活気の焦点が変わってきている。

 『自転車泥棒』時代のローマは戦争の傷跡がまだ生々しく残っている時代で、街の活気も表通りよりは泥棒たちが巣くう裏通りの方が中心で、そこをさまよう親子が描かれていたのだが、こちらではウンベルトがさまようのは表通りの方。普通の生活を取り戻し、復旧した街が中心なのだ。それまでの目端の利く人間ばかりが良い思いをしたり、一日で没落したりと言った激動の時代ではなく、まじめに働く人間に正当な報酬が与えられる時代に移ってきている。社会的に安定し始めた時代と言える。確かに『自転車泥棒』の時代ではあまり見られなかった公共の乗り物も増えて、車通りもある。

 だが、だからと言って貧しいものがいなくなったのか?と言えばさにあらず。貧しい人は数多くいるわけだし、本作のウンベルトのように社会の歪みによって、これまでの生き方そのものを否定されてしまった者もいる。当時のイタリアでは社会の混乱はまだ続いていたし、たとえ社会が混乱していなかったとしても、必ずこういう人は出てくるものだ。

 ここでのウンベルトは、そう言う意味では本人に何の落ち度もないのに、社会的な問題から弱者にされてしまった人になるだろう。ただ、『自転車泥棒』でのアントニオは家族のために働いているのに対し、ここでのウンベルトには係累がない。マリアとは交流があるものの、これはあくまで他人である。ただ彼には犬がいて、それが彼を人生に踏み留めている。それがより寒々しい描写になっているのも特徴と言えるだろう。  確かにこの描写は寂しい。だけどその寂しさがしみじみとした愛情を見せてくれている。

 これも又、人生の縮図なのかも。

(評価:★4)

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