[コメント] めぐりあう時間たち(2002/米)
「自らの為に生きる」「自らの為に死ぬ」「他人の為に生きる」「他人の為に死ぬ」・・・人生はこの4通りだが、生と死の境界線はそんなに狭いのか?
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ヴァージニア・ウルフが「息の詰まりそうな田舎暮しよりも、ロンドンの刺激の有る暮らしに戻りたい。」といった台詞には頷ける。
自分は歳をとってからはニュージーランドの自然にでも囲まれて隠遁生活をおくるのもいいなと憧れつつも、娯楽や情報の少ない生活が1年以上も送れるとは到底思えないからだ。
さて、わずか1日の心の変化を描いただけだが、むろんそれまでの積み重ねは有る。しかし、無理に1日にしている点が、3人の女性と1人の男の心情を汲みきれない。これでは自殺肯定映画と言われても仕方が無い。
ちなみに、私は5年前に親友を自殺で亡くしている。
彼のポリシーは生涯借家住まい。借金を背負うリスクを負うくらいなら、借家で十分という考えだった。それがどこでどう心境の変化があったのか、持ち家を建てる事に。
その当時、暫く彼とは距離があった為に、それに至る経緯を詳しくは知らないが、マイホームが出来上がってからわずか1ヶ月で、妻子を残して自らの命を絶ってしまったのだ。理由はこれからの借金の重荷。いきなり友人の死を知らされたこの時と、この映画は似ている。
”安らかに天に召された小鳥”を理想にして「自らの為に死ぬ」を選んだわけであって、明らかにそれは人生からの逃避。
上質の時間を紡ぐテクニックや、音楽、見ごたえの有る演技合戦を用いても、私は、そういう自殺自体を肯定する様な作品を支持しない。
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