コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] A.I.(2001/米)

子供を愛せない親。 <幼稚園の参観日を終えての感想>
sawa:38

>>>ある日突然この子を「愛せ」と言われても。<<<

この映画では父親は不在である。父親は妻の気を紛らわす為だけにロボットを連れてくる。デイビットは実の息子の生まれ変わりではなく、単なる妻への玩具に過ぎない。父親は実の息子が不治の病である事より、妻の精神状態を心配し、デイビットという新しい家族が増える事よりも妻に笑顔が戻った事を喜んだ。

実際のところ、そんなもんなんだろう。もしも、私の子供に不測の事態が起こり、夫婦だけの淋しい生活になってしまったら・・・不道徳なのは承知で言うと、「また、新しい子供を作ればいいじゃないか」なんて台詞を言ってしまいそうだ。

父親は10ヶ月前の激しいイン・アウトによるホラショーな快感は覚えているくせに、10ヶ月後に突如として家族に割り込んできた新しい「息子」に嫉妬する。愛する妻の乳房はもう既に自分のモノではなくなってしまうのだ。

では母親はどうか。母と子の関係は特別である。父親を含めたあらゆる対人関係において、やはり母と子は特別である。10ヶ月もの間、ひとつの人体を共有するという特異な経験の後も生存の為に母親の乳を必要とする特殊な関係がそうさせるのか。

やがて来る10代の反抗期までの間、幼児・子供たちは通常は無条件で母親を愛す。それは生存の為の必須条件なのかも知れないが、まるでモニカに7個のキーワードをインプットされたようにだ。デイビットは当然のようにモニカを愛す。だが問題は突如「この子を愛せ」と言われた母親のモニカであろう。

親が子供を養っている上記の期間中、親子の間は公平ではない。常に親から子へという一方的な奉仕があり、子は常に消費と破壊を繰り返している。ガチャガチャの前を通れば必ず望みを叶えるまで動かず、やっと手に入れた新築の家も1週間で落書きと傷だらけの家にされてしまう。それでは親に対して何の見返りもないかといえばそうでもない。美醜に関わらず子供たちの笑顔は家族の絆を確認させてくれるし、世間一般でいう「幸福感」を満足させてくれる。目には見えないが、彼等は「物質」を消費する代わりに「精神」を満足させてくれる訳である。

では本作のデイビットはどうであろう?彼は無条件で自分を「愛せ」と懇願する。 母のモニカにとっては晴天の霹靂であろう。彼とは同一の人体を共有した記憶もなければ彼によって「精神」を満足させられた経験もない。(少ない?)ジゴロのジョーはそのテクニックによって女性を満足させるべく努力する。しかしデイビットはこの家族に対して何らの奉仕もしていない。だいいち食事という最低限の消費すらしていないのだ。彼は何故無償の愛情を求めたのか?

子供たちは気をつけねばならない時代だ。親から無償の愛情を一方的に受け入れていれば良い時代ではない事に気付く必要がある。親の機嫌を損ねれば、その先には餓死・せっかん死が待っている時代である。親の機嫌をとれとは言わないが、子供が家族の間で出来る「精神的な役割」は無限の可能性がある。だからこそ、親は子供の躾をきちんと教え、わがままなだけの無用な子供を矯正していく必要があるはずだ。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)Shrewd Fellow けにろん[*] ゆーこ and One thing[*] らーふる当番[*] ゼロゼロUFO[*] ジャイアント白田[*] tkcrows[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。