[コメント] 仕立て屋の恋(1989/仏)
1.これがさしずめ日本ならば、藤田敏八あたりが「にっかつ」で貧乏臭く撮るのだろう。
きっと四畳半のアパートで真夏なのに扇風機すらない、暑くイラついた作品になる。
2.私は「酔った」。あの禿げ頭の親爺の「完成されたフェチズム」に酔った。覗きという窓を通してしか愛せない「愛」。怪しく接近してくる女に拒絶反応を示す親爺。
生身の女を拒絶する男たちは増加している。男たちは常に理想の女を追い求めている。それが完璧であればあるほど、現実の世界とは離れていくものだ。結果、矛盾はするが、例えそれが本物(イメージ通り)の女であろうと存在してはならなくなる。
現実に存在しては、いたるところでイメージは破綻していくからだ。
親爺は部屋に入り込んできた女を追い出した。まったくもって彼は正しい。正統派のフェチである。女が出て行った後に、女の座っていたベッドに顔を埋めるシーンの秀逸さに「酔った」。
親爺の破綻は「フェチの王道」を踏み外し、現実の女に手を出してしまったことだ。ランチを共にしたり、スカートの中に手を入れる痴漢行為などは言語道断である。親爺の「完成されたフェチズム」はここに崩壊する。
親爺は檻の中の二十日鼠を観察するように、自由に女を観察していれば良かったのだ。少なくともその時女は、親爺の手の中にあったのだ。覗くも目を逸らすも自由。必要がなくなれば布切れに包んで川に捨ててしまえる程の主導権を持っていたのだ。
ベッドに残った女の尻のぬくもりと残り香が親爺を崩壊させた。
部屋から出て行けと怒鳴る親爺の表情は、年齢を積み重ねた一人の人間の自我が崩れ堕ちていくという恐るべきシーンなのだ。
PS,何故そんなに熱く語るのかと訊ねられれば、男は皆何かしらのフェチなのさと言い返したい。私が何フェチなのかはこんなところでカミングアウトする気はないが・・・
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