[コメント] 東京オリンピック(1965/日)
オープニング、日の丸が太陽にオーバーラップし、それが突如巨大な鉄球となりビルを破壊するという象徴的な映像で本作は始まる。東京オリンピックを境にして東京の町並みは劇的に変わったという。復興からの脱却と先進国への仲間入り、豊かな暮らしの始まりだったとされる東京オリンピック。しかし現代では自虐的にアノ鉄球は「古き良きモノ」を破壊したのだと言う者もいる。
だが私は思う。アノ鉄球が破壊したのは民族の自虐心だったのではないかと。
戦争に負け、世界から被告として裁かれた「日本」。明治維新以降、夢にまで見た一等国は一瞬の宴と終わり、まさに三等国家として蔑まれた「日本」。
オープニングは過去の開催国を淡々と朗読していく、途中二度の世界大戦による中止があったという。そう、我々は知っている。開催が決まりながら中止された幻の東京オリンピックがあったことを。そんな歴史を乗り越えてのアジア初の開催をナレーターは告げる。焼け野原になった東京が僅か19年で世界の人々を「平和的に」迎え入れる事が出来るようになった日本民族のプライドが満ち溢れている。
(昭和天皇や皇族の姿もあった。戦犯ヒトラーや戦犯ムッソリーニとは違うというメッセージを世界に「公的」に発信したのも本映像の力だとも思う)
オープニングから約30分間の「聖火〜開会式」に至る映像にはそんな喜びの姿がまさにはちきれんばかりに描かれている。一般市民の笑顔はもちろんだが、特徴的なのは足元を丹念に撮った映像だった。聖火リレーを一目でも見ようと沿道に集まった市民たち、そんな彼等が背伸びをし、つま先立ちで見物しようとする姿を撮る。その視線はお上目線ではなく、まさに一般市民たちの目線:感情表現だった。国策・国益としてのオリンピックとはまったく別の一般市民たちのオリンピックに対する期待感がアノ爪先立ちのカットに力強く表されていた。
ナレーターが言う、これ程の外国人が一挙に日本に来訪したのは初めてであると・・。未だ世界中で戦火が繰り広げられている中での擬似的な平和の祭典だった。分断ドイツ・分断朝鮮・ベトナム・独立を勝ち得たアフリカ諸国、そして巨大な選手団を送り込んできたアメリカとソ連。インド対パキスタンの宿命のホッケー決勝もあった。何故か各国の入場行進で涙が溢れた。
市川崑のカメラは意図的なショットを切り取り、たかが記録映画には不釣合いなメッセージを送り続けた。本当に涙が出た。但し、30分以降競技が始まると市川崑の「冴え」は鈍くなる。時折はっとするような映像美で魅せはするものの、競技の羅列は意味を成さず、またスポーツという筋書きのないドラマに市川崑が参加する事が次元の違うものなのだと認識させられた。
結局、競技の緊張感を写す映像が、たかが映像作家によってさらに意図あるモノとしてレベルアップする事など出来はしなかったのだ。だから競技が始まってからの2時間半は退屈なドキュメンタリーの域を出ることなく進行していく。やはり市川崑は民衆を交えた映像でこそ真価を発揮したのだ。開始早々の市民たちしかり、ロードレース・マラソンでの沿道の市民しかりである。
贅沢を言えば、市川崑には競技の外にいた市民たち(原罪を免除され、上を見て歩けるようになった市民たち)をもっと撮って欲しかった。この映画は日本という国家が歩んできた歴史の中で大きな転換点となった数日を描いた貴重なドキュメントなのだから。
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