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[コメント] 麦秋(1951/日)

固定された居間の視線はびくともしない。
sawa:38

固定された居間のカメラフレームをせわしなく多くの登場人物が出入りする。この家へ越して来て20数年だという。紀子が頭にちょこんとリボンをつけていた少女の頃からこの固定された居間のフレームの内外を彼等多くの人物が出入りしていたことだろう。

この居間は賑やかだ。3世代が寝起きし、他所から多くの子供達までもが集まってくる。この居間は活きている。

次男は南方戦線で生きている可能性を捨てきれないし、娘は婚期を逸して周囲は気をもんでいる。隠居状態の老夫婦は家の重要な問題には関与を避けるように寝室へ逃げ込む。本来は他人である長男の嫁は家に溶け込み同化している。同化しているように見えるが実はどうなんだろう?まるでお姫様のように嫁ぎ先を心配される小姑=紀子に対して自分はいったい・・・この居間は逡巡している。

博物館見物に出かけた老夫婦がしみじみと言う。色々な事があった。でも現在が一番良い時なのかなと言う。戦争もあった、世代交代の隠居もあった。長く険しい人生があった。それでも言う。「今日は良い日曜日だった。」と

長い人生を振り返れば多くの言葉が必要なはずなのに、それをたった一言、しかも今日という日曜日のみの充実感で語り尽くしてしまう。

多くの登場人物が出入りし賑わいでいるアノ居間から、やがて一人減り二人減りしていくだろう。最後に撮った家族の写真は幸せを確かめる為の確認。この家がいつまで建っているかは知らないが、この居間はこれからも人物が出入りしていく姿を見守るのだろう。家出やショートケーキだなんていう些細なエピソードや、戦争や結婚といった大きなエピソードがこれからも続くだろう。泣いたり、笑ったりして家族は成長し、増殖する。そして拡散し、死んでいく。

意図的なフレームインとフレームアウトが執拗に繰り返される様は悠久なる「居間」から見た些細な家族の歴史。どれだけ動揺するような出来事があっても「居間」の固定された「視点」はびくともしない。些細な事だと言わんばかりに見守っている。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)づん[*] けにろん[*]

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