[コメント] 女囚さそり 701号怨み節(1973/日)
これほどの哀しさを閉じ込めたヒロインは未だかつていない。そして都会に放たれた女豹はより凶暴さを増す。
伊藤俊也前監督の手を離れた「さそり」はリアルさを増す。
前作までの「さそり」には復讐という明確な目的があった。そうせざるを得ない理由が故に観客は「さそり」に感情移入をする事が出来た。だが、本作での「さそり」は恨みでも憎しみでもなく、ただただ「生」への本能で闘う。
逃げては捕まり、また逃げては捕まる。それはまるで反戦運動という明確な目的を逸し、ただ逃げ回る「革命家崩れ」を思わせる。だが田村正和扮する元闘士は「生ける屍」となっていたが、「さそり」は闘いながら、傷つきながらも都会を逃げ回っていた。生物の本能としての闘いを繰り返しながら都会のジャングルを彷徨する。
本編の「さそり」はリアルであった。彼女は追跡に怯え、絞首台に怯えた。そして何よりも男に惚れ、心を許し、そしてまた裏切られた。
「花よ綺麗とおだてられ 咲いてみせれば すぐ散らされる 馬鹿な馬鹿な 馬鹿な女の恨み節」
もう明確な目的も持たず、ただひたすら生物として怯え、攻撃し、咲こうともせずに生きていくのだろうか。散らされるのが嫌だから。怨むのがもう嫌だから。
これほどの哀しさを閉じ込めたヒロインが未だかつていただろうか。壮絶である。背筋が凍る哀しみである。
田村を絡め、男に惚れさせたという点で、このシリーズの本質を最も色濃く打ち出せた1本である。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。