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[コメント] 影武者(1980/日)

影のある存在。影になる存在。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この時代の話し、小さい頃から好きでして、色々薀蓄語ってしまいました。気の向いた方、読んでみてください。

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 戦国時代の武将で誰が有名か?といえば、おそらく武田信玄は3本の指に入るだろう。 しかし、織田信長、秀吉、家康、毛利元就、伊達政宗等と比べて、武田信玄の戦績、名言、好物、習慣とか・・・、いったい何人の影武者がいたのか?、川中島の合戦は何回やったのか?など、ミステリーな部分も多い。では、どうしてこれほどまでに有名となったのでしょうか?

 おそらくそれは、武田信玄の「存在そのもの(すなわち影)」が歴史に大きく影響したからだと思う。

 信玄は諸大名からみて、どのような存在であったでしょうか・・・。 まず、織田信長。信長は、とにかく外交重視で、一勢力にすぎなかった頃から信玄を父と呼び(もちろん外交上の策略)、上京してからも信玄の影におびえ続けてきた。 家康は三方ケ原の合戦で、初めて信玄軍と戦い大敗してから、信玄こそ武将の鏡としてその影を仰ぐようになり、武田家滅亡後、旧武田家の武将を多く登用した。後に開府した江戸幕府においては、武田信玄の政治的・軍事的思考を少なからず取り入れたといわれている。 最強の相手こそ我が敵と考える越後の上杉謙信は、信玄という最強の影が信越にいる為、信玄没後まで上京することは無かった(これが信玄の上京の遅れにつながる)。 京の旧幕府の足利義昭の提唱する信長包囲網も信玄の影を大きなよりどころとしていた。

 そう、信玄は、動かざる山の如く、じっと構えているだけでかくも歴史に影響を及ぼしていたのだ・・・

 本作では、信玄の影を巡るこれらの大名のスタンスが、短時間ながらうまく描かれていたと思う。特に信長役の隆大介は、(尾張弁ではないものの)理想的な信長像で、信玄没の確報の後の幸若舞「敦盛」の一節「人間五十年・・・」は最高だった。歴史好きで尾張人の私も十分納得した。(海外版では謙信のシーケンスがカットされたようだが、あってもよほどの日本通の人しか理解できないと思うので、しょうがないと思う。)

 信玄の影の効果は、武田軍にも絶大である。 息子、武田勝頼(萩原健一)が始めた高天神城の攻城戦では、武田本軍は高天神城から少し離れた丘に風林火山の旗印の元どしっと陣取る。圧巻なのは夜襲のシーン。暗闇の中、一糸乱れぬ伝令と軍陣の連携で敵を撃退する。暗闇の騎馬武者の影の動きにぞくぞくした。そして、追撃に際し影武者の「動くな」の一言。影武者が信玄の偉大さを体感した一瞬といっていいだろう。信玄の気配を察した家康の猛将、本多平八郎忠勝(曽根徳)は攻めることなく退却を命じる。高天神城の攻城戦は、武田軍における信玄の影(=おやま様たる所以に繋がる)の偉大さを良く表現していたと思う。

 以上、諸大名・諸武将から観た信玄の影について記してきた。しかし、本作の主人公は信玄ではなく信玄の影武者。すなわち、こちらも信玄の影。異なるのは、信玄の影に影響されるのではなく、信玄の影そのものに「なる」という点。

 武田信廉(山崎努)という信玄の影武者も勤めた信玄の実の弟は、雇った影武者(仲代達矢)にこのようなことを言う。「影は本体があるから影なのだ。本体なくして影はない。」 そう、影武者にとって信玄の影になることは、自分を消し去ることに等しく、信玄の影にも守ってもらえないし、自分で守ることも出来ない。恐ろしくつらい立場なのだ。

 ラスト、影武者は武田家から放逐され、信玄の影から解放された武田勝頼は長篠の合戦で自殺的な突撃を繰り返す。信長は言う「山が動いた」と。  事実、この合戦で本作でも登場する信玄の代からの重臣(山県昌景(大滝秀治)、馬場信房(室田日出男)、内藤昌豊(市甫隆之)、原昌胤(清水のぼる)ら)は戦死してしまう。合戦前に「風」「林」「火」の指揮官が槍を合わせるシーンも印象的だ。

 少しラストで頂けないのは、一人突入する元影武者に信長・家康連合軍が射撃すること。この作品の流れからすると、かれは、影武者になった時点で己を捨て、存在もなくなったも同然なわけなので、彼がそのような意思を持つことにも、又彼に向かって射撃することにも違和感がある。主人公、影武者の人間としての悪あがきなのかもしれないけど、川面に写る風林火山の御旗にただ呆然とするだけのほうが良かった気がする。仲代達矢演じる影武者は主役の割には全体的に影が薄かったけれど、影武者としてはそれでよかったと思う。

 この合戦から先の話しを史実を元に補足すると、長篠の合戦の大勝後、約6年間、信長は信玄の影無き武田家を放置する。その思惑通り武田家は崩壊していき、信長が武田家成敗の最終段階に乗り出したとき、殆どの城はすぐさま開城し、まるで無人の野を行くが如くだったという。武田勝頼は、重臣、小山田信茂(山本亘)にも裏切られ、わずかな近習と共に自害する。そんな小山田信茂を主家を見捨てた謀反者として信長は処刑する。本作の準主役的存在の武田信廉も武田家滅亡後、織田軍に捕らえられ処刑される。

 「山が動く」と同時に滅ぶ道を選んだ山県、馬場、内藤、原。山を裏切り、生きる道を選んだにもかかわらず信長に処刑された小山田。山が滅ぶのを見届けた信廉。山になれなかった勝頼。 こう考えると、武田信玄の魅力は、人間の栄枯盛衰にもあるのかもしれません。

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 影のある存在と、影になる存在。これは、偉大な人に限った事ではないだろう。今の時代でも正体不明な影(圧力)はつきものだし、自分の存在(意見)を無くした影(人)も多くいると思う。これら2つの影は、人間社会のセットなのかもしれません。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)Santa Monica chokobo[*] torinoshield[*] 甘崎庵[*] アルシュ[*] けにろん[*] ina

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