コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 親切なクムジャさん(2005/韓国)

真っ白なクムジャさん。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







収容所での13年の歳月、親切なクムジャさんの支えは復讐だったのだろうか? 収容所での初めての殺人、その行為は受刑者の人望を得るためと言うよりも純真無垢・無知な子供の残虐性に近かったようだ。全てを失ったクムジャさんは真っ白で、真っ白ゆえに優しくて冷酷だったのではないだろうか。

出所後、冷酷なクムジャさんは嘗ての仲間のところに向かい、優しいクムジャさんはオーストラリアに向かった。 娘と一緒に暮らしたい。しかし、できない。 体を張って帰郷を主張する娘。 憎む人に命をかけることの虚しさ。愛する人に命をかけることの尊さ。

クムジャさんは混乱する。ここに至った経緯をペクの通訳を通して娘に話すクムジャさん。 「ふーん、それでこの人を殺すの・・・」と応じる娘。そんな自分に娘は何も感じない。 クムジャさんがペクの携帯についた子供たちの遺品の数々を眼にしたとき、こう結論したのではないだろうか?

罪をかぶったと言えど、自分の娘は殺されていないではないか。

ここで思い出されるのは「ゴッドファーザー」のオープニング。愛娘に乱暴をした若者の殺しを嘆願してきたボナセラにゴッドファーザーはこのように応える。「しかし、あなたの娘は生きている・・・ それは正義ではない・・・ 私をゴッドファーザーと慕うことのほうが先決だ・・・」 復讐に「感情」や「道理」より「義理」を重んじるゴッド・ファーザーの有名な台詞だ。

長年の収容生活で「感情」を失い、復讐に「道理」をも見出せなくなったクムジャさん。囚われ人のペク。クムジャさんが犠牲者の家族に復讐の場を与えることとしたのは、遺族のためと言うよりも、事此処に至った以上、その「義理」を演じるほかなかったのではないだろうか? 心持真っ白でなくなったクムジャさんは表情を隠した。

復讐の一部始終を見届けたとき、クムジャさんの表情に感情が噴出した。その表情には喜怒哀楽が混在する。 遺族の輪から自然と歌われる「ハッピバースデー」。クムジャさんはそれに加わらない。

「復讐は何も生まない」とよく言われるが、それはクムジャさんにこそ当てはまる形容ではないだろうか? クムジャさんにとって復讐は一体なんだったのだろうか? つま先に2発、死体に2発撃った弾丸に一体どれほどの意味があったのだろうか?

迎えにきた娘。娘が生きていてよかった

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (6 人)おーい粗茶[*] りかちゅ[*] TOMIMORI[*] きわ 浅草12階の幽霊[*] 死ぬまでシネマ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。